今、私がここにいる理由
使徒パウロたち一行は、キプロス島での宣教を終えて現在のトルコにある地域(ガラテヤ地方)での宣教を始めようとします。ところが、その矢先にヨハネが一行から離れてエルサレムに帰るという事件が起こります。わりと宣教旅行の最初が終わった段階で帰る彼の心情は何だったのでしょう。思いもかけない宣教旅行の苦難、また霊的な戦いを思うときにパンフリヤのベルガはまさに、ここならまだ帰ることができると思える、実際にそういう場所、地点だったのでしょう。ところが、14節には「しかし彼らはベルガから進んでピシデヤのアンテオケに行き」とあります。果たして、宣教するときに恐れや実際に霊的な戦いがあります。宣教の祝福よりも恐れが人間的には先立つかもしれません。しかし、前進するときに大きな祝福が待っているのです。何よりも、神様が私を主イエスの証人として呼ばれてここに遣わされた理由があるのです。私に「あなたは進むのか?」と問われた気がしました。新しい神様の働きに進むのに恐れがあります。また、なかなか進むない現状にいらいらします。それでも、進むところに祝福があります。使徒パウロはユダヤ人の会堂に入ってメッセージをすることを勧められます。そこで、旧約聖書のモーセ、エジプト、荒野での訓練と導き、さばきつかさ、サムエル、そしてダビデの話をします。そして、ダビデの子孫として生まれてくださったメシアなるイエス・キリストをエルサレムでユダヤ人の指導者たちが十字架にかけた事件を伝えます。それが、旧約聖書の予言どおりであったことも語ります。ここで、もうひとつ私の心に留まったことは「ダビデが神様のみ心にかなう人であったことです」神様のみ心にかない、神様のみ心を実行する人とはどんな人でしょうか?
①神様と親しく交わり、神様の心に同調する人である
②神様を愛する人である。人と比較することなく。
③神様のみ言葉を聴いて行う人
④神様へ祈る人
⑤神様こそが、神様のみが、最高の人生の価値観であることを確信する
⑥神様の計画が、BEST PLANを受け取って信じて生きる人
旧約聖書の人々も、宣教したペテロたちも神様の計画の中でそれぞれ違う役割を心から守り行い、生きました。神様に用いられる人生を歩みました。神様に用いられる人生を歩みたいです、歩ませてください、進みます。