坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 6月 13, 2009

神様が遣わされる人になるためには

使徒行伝7;17-36
神様が用いられる人になるためには、どうしたらいいのでしょうか?それは、神様の計画と約束を信じる信仰が必要です。時に、忍耐と準備の期間を通る必要があります。必ず、神様の計画によってしかならないことを信じる必要があります。今日、ステパノはモーセを通してそのモデルを見せてくれています。まずモーセは、
①自分でイスラエルを顧みる思いを持ちました。そこで、危険を冒してまでイスラエルの奴隷を救おうとしたのです。しかし、自分をリーダーとして認めてくれると思ったイスラエルの人は受け入れてくれませんでした。40歳の働き盛りのモーセにとって大きな挫折だったでしょう。また、モーセはエジプトのあらゆる学問をえたにもかかわらず、それを用いることも無い羊飼いをしないといけませんでした、どんな絶望だったことでしょうか。それも、モーセへの神様の準備期間だったのです。
②モーセは、自分の人間の力や時に神様に用いられることがないことを学ばないといけませんでした。それは、80歳になってシナイ山(後に出エジプトして十戒をえる)で神様に出会うまでは引退生活や将来への希望を失っていく年齢でした。
③そんな人間的な希望を失ったモーセを神様は呼ばれました。あえて、あなたの人間的な力で奉仕するのが神様のみ業をかえってじゃましていることを教えられたのです。神様に頼るしかないことを教えられたのです。モーセは神様に出会ったときに恐れました。
④モーセを神様のリーダーとして用いるのは、「神様の出会いが必修である」そして「神様の時に人間のときではありませんでした」「神様の力にのみ頼ることが出来るように」そして一番重要な「神様が立てられてこそ」仕えることが出来ました。神様との出会いは「聖い神様の出会い」であり、礼拝する人生でした。礼拝者として呼ばれた中で、主なる神様との特別な関係の中で奉仕者となったのです。明日の礼拝のときに、聖い神様の前に自分の靴を脱いで歩みます。