坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 6月 16, 2009

殉教することは世界宣教のスタートになる

使徒行伝8:1-13
ステパノの殉教の死は、その日のうちに12使徒以外をエルサレムに集まっていたクリスチャンたちをユダ・サマリヤの各地に(首都からイスラエル国内へと)散らせました。普通ならば、クリスチャンの力と団結は弱くなるはずですが、逆に彼らはイエス・キリストを伝えながら各地に散らばっていきました。彼らのエルサレム教会での信仰生活は、礼拝や交わりやグループ化されていくだけでなくて、一人で神様からの恵みを受けて、迫害の中でも伝道していくほどに信仰の実力がたくわえられていました。その中で、7人の執事であったピリピはユダでなく、サマリヤ伝道いや、サマリヤはユダヤ人に嫌われた地域であり、混血の地域とされて(列王記参照)宣教に行くことになります。後に聖霊を受ける事件でも関連してきます(8;16)。ピリポはサマリヤの人々に、「神様のみ言葉」を語り、驚きべきイエスを指し示す「しるし」を行い、「汚れた霊の追い出し」を行い、「病」の癒しを行い、サマリヤの町には喜びが起こったとあります。ステパノの殉教は確かに痛い事件でしたが、かえって、神様の愛を霊的に肉体的に閉じ込められている町に喜びを伝える宣教のポイントとなりました。それは、一人の敬虔な人の殉教を神様は覚えてくださり、その殉教を通してかえって全世界に福音を伝える事件としてくださったのです。何故なら、サマリヤだけでなくて全世界に霊的に閉じ込められている街はたくさんあり、喜びが町に来ることを待っているからです。山から町まで、川から谷へと町から、全世界へ福音を伝えていきます。私に与えられた恵みはこうです。自分が行くべき宣教地はどこか?また、宣教は自分が死んでこそ、大きな祝福を生み出すのでないかと思いました。そして、ステパノを葬った敬虔な人々のことです。彼らは敬虔な人であって、純粋に悲しみを知り、そして悲しみのために他の人日の目を気にせずに、行動する勇気のある人でした。私にとってかけていること、私が死ぬべきところは「勇気を持って行動」することでないかと思いました。年齢を重ねると計算し、安全な道を探そうとします。神様の道はインディジョーンズのように絶壁の谷を歩かされて、進むと橋の架かるような祝福の道です。宣教の道を歩みます。絶壁の道を一歩歩んでいきます。