坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 6月 20, 2009

visionによって生きる人の人生

使徒行伝9:17-20
そこで アナニヤは出かけて行って,その家にはいり, サウロの上に手を置いてこう言った.「兄弟サウロ. あなたが來る途中でお現われになった 主イエスが,私を遣わされました. あなたが再び見えるようになり, 聖
に滿たされるためです. 」 するとただちに, サウロの目からうろこのような物が落ちて, 目が 見えるようになった.彼は立ち上がって, バプテスマを受け食事をして元氣づいた.サウロは數日の間, ダマスコの弟子たちとともにいた. そしてただちに,諸會堂で,イエスは神の子であると宣べ傳え始めた.
昨日は、神様とつながらない人生は的外れの人生であるとQTの分かち合いを書きました。また、神様の下さった人生のGOALを知らないのは危険である話をしました。神様とつながらない人生は命の無い人生です。目に見えて生きているように見えても、実は霊的に死んでいる人生です。今日は、それでは、神様の計画にある人生をどのように生きるのか?黙想されられました。それは、神様のVISIONで生きる人生です。神様の計画を「信仰の目で見ていく」人生です。今日のQTの登場人物はそれぞれに神様の人生の計画にあっていきます。
①アナニヤは、今まで主イエスの弟子を迫害してきたサウロを癒しに行くときに悩みましたが、神様の計画を聞いて、自分の意見や感情をおいて従いました。私は、自分のスキや嫌いや意見で神様の計画に従うことを拒否していないでしょうか。
②主に呼ばれたときに、アナニヤは「ここにおります」と答えました。主イエスに呼ばれたときに準備している人生を、態度を持つ人が弟子です。私を呼んでくださる人がいるのに、しかも神様であるのがどれほど楽しみなことでしょうか。
③もしも、アナニヤが主イエスの命令に答えなければ、主の選びの器は用いられなかったのです。
はたして、その祝福の従順をしているのでしょうか。サウロの人生、自分の人生と比較することなく神様の計画に従順していったから神様の最高の宣教旅行が、全世界へ広がっていったのです。果たした、私への神様の計画はあの人と比べたら大したことが無い、と判断したり比較していないでしょうか。私の小さな従順は、大きな神様の期待あるのです。
④サウロは、「目からうろこのような」ものが落ちて、バプテスマを受けました。そして、ダマスコの弟子たちと交わりをはじめます。神様の人生が始まっていくのです。彼は今まで全く違う人生を躊躇することなく、自分の人生のプライドをおろして「主イエスが神様の子」であることを語り始めました。
私は、主イエスのために苦難の人生に呼ばれたら喜んで従うでしょうか。昨日までのプライドを捨てて語るのでしょうか。神様に呼ばれた人生を喜んで答えるのでしょうか。
⑤サウロを迎えたダマスコの弟子たちです。彼らは昨日まで自分たちを殺そうとしたサウロと交わりを下のです。人間の理解の限界を超える愛の交わりです。何故なら、まず罪だらけの自分が主イエス・キリストの十字架で救われたからです。その救いを受けたら交わりをオープンにせずにいられません。私は自分のタイプで無い人を受け入れているのでしょうか。神様のVISIONで生きる人は祝福を受けます。神様の期待に喜んでこたえているのでしょうか。宣教の人生でも、苦難の人生も、私の受け入れない人も神様のVISIONで生きていきます。