坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 6月 01, 2009

聖霊が下ると未来を語る

使徒行伝2;14-21
ペテロは聖霊が下ったために、外国の言葉で話すようになった弟子たちを見て、酔っているのでないか?というエルサレムの人々に弁明と説教を始めます。そして、ここにはエルサレムに過ぎ越しの祭りのために集まっていた人々が出てきます。彼らはディアスポラのユダヤ人たちでした。彼らは、外国に住むユダヤ人たちで、バビロン捕囚になってバビロンに連れて行かれたユダヤ人たちが、70年後もそのままイスラエルに帰還せずに、バビロンに住んでいった人々の子孫だったり、他にも、ユダヤの国がなくなったから全世界に散らばったユダヤ人の子孫たちで、外国語のネィティブでありながらも、なおかつユダヤ人としてのアインデティを失わずに生きている人々(ですからこそ、ローマやエジプトやトルコ、キプロスなどからわざわざ、5旬節の時期にエルサレムにやってきたのです)でした。そういう彼らが、聖霊の下った弟子たちが外国語で話し出した時に、嘘やいい加減な言葉でなくて、確かに外国語で話していることを確認できたのです。ちなみに、ここに出てくる外国語で話す言葉を確認した外国人やその外国の地名は、使徒行伝の宣教旅行に出てくる場所になってきます。さて、ペテロが聖霊を受けた弟子たちが酔っているのでなくて、旧約聖書のヨエルからこの聖霊降臨の事件の解釈をします。聖霊が下るとどのようなことが起こるのでしょうか?
①正しく、聖書を解釈するようになります。自分勝手な解釈でなくて、神様の声を聞いて神様の心を語るようになります。聖霊様の助けなしに自分の力では聖書を判ることができません。逆に、聖霊様の助けがあるならば、楽しく、豊かに聖書から神様の声が聞こえ、楽しい神様との交わりとなります。QTとなります。
②聖霊様は神様の御心に従うように助けてくれます、ペテロは数ヶ月前まで(わずか40日から50日前まで)イエスを否認し、イエス・キリストの十字架の後隠れていたような人でした。人間的な熱心の弱さを暴露したような状態でした。漁師に戻ろうとさえしていました。しかし、大胆に群衆の前で話しました
③聖霊様が下ると御言葉を語ります。しかも、大胆にです。
④聖霊様が下ると、未来を語ります。老人は夢を見、青年は幻をみます。そして、主イエスの再び来られる日とその前に艱難を語ります。
⑤主イエスの救いを語ります。未来における最高のメッセージです。人生の最高のGOALを目指すことを語ります。
私たちは、過去に縛られた人生をしているのでしょうか?それとも、主イエスを信じて聖霊様を受けての新しい夢を、ビジョンを語っているのでしょうか?聖霊様によって受けた変化があるのでしょうか?ペテロはわずか少し前には挫折の真っ只中にいました。しかし、聖霊様を受けた時に聖書のみ言葉を語り、聖霊降臨事件を人々の前で、その意味を語ったのです。未来を語るとは、何と期待の持てることでしょうか。素敵なことでしょうか。イエスにある未来を目指して生き、語っていきます。