神様との秘密の関係を持つと献身に万倍の祝福がある
使徒行伝9:32-43
ある開拓教会を奉仕されている韓国人の先生がこのようなことを言われました「開拓教会をしているといろいろ大変で、人数のことや経済的なことや、そういう苦労の中で、真心から入ってくる犬にまで神様の祝福が万倍あるように祈る」と言われました。私の結婚式の司式をしてくださった先生が、大型教会にいたときには考えられない苦労をされながらも、このような祝福を語ってくださいました。今日のQT箇所には、ペテロがイスラエル国内を巡回伝道と牧会をしていたことが出てきます。その中で、ルダというところにいた8年の中風にかかっていたアイネヤを癒す奇跡と、それに伴って主イエスを信じる人が起こってくる祝福が出てきます。また、ヨッパ(港町で使徒行伝に良く出てきますね)にいたドルカスという多くの良い技と施しをしていた人が死んだという事件が出てきます。今日私が黙想させられたことは、「いやし」とは神様の御心と全権的な神様にかかっていることでした。私が病気の人のために祈るときに、難しく思うことは「もしも、神様の御心が癒し」でなかったら、ということです。しかし、思わされたことは「いやし」に対する神様の御心は「常にその人への最高の計画であり、愛であること」を思わされました。私が判断することでなくて「神様の愛」を信じて祈ることが大事であり、判断することよりもペテロが普段から神様の関係を強く持っていなければ「いやし」の奉仕に仕えることが出来なかったであろうと思いました。ペテロがアイネヤを癒したときは他の人もその場にいたようです。しかし、死んだドルカスを癒すときには「みなのものを外に出してひざまずいて祈りました」まるで、エリシャがシュネムの女の息子を癒したときのようです(Ⅱ列王記4;25-37)。今日、さらに思わされたことは、「いやし」について判断するよりも、私は神様との誰も入れないくらいに親密で、深刻で、深い、関係にあるのか?物見遊山でない癒しと祈りの中にあるのか?と思いました。そこに、大きな奇跡があり、人を生き返らせるという主イエスのみがなされてきた奇跡をされたのです。それを通して、また多くの人々が救われたのです。神様との奥義を持った弟子は、多くの祝福をもたらします。ドルカスも生きている間に多くのよいわざと施しをしてきました。主イエスにある献身であり、それは愛から来ているものです。彼女がなくなったときに、多くの人々がペテロに助けを求めるほどに、彼女は愛し、愛されました。このような愛の関係を持ってるでしょうか。自分はなげまれるほどの愛を持って共同体に献身しているのでしょうか?ペテロは巡回伝道を持って仕えて来ました。彼の癒しは、自分に力があるのでなく、主権と力と栄光は神様にあることを宣言して癒しました。神様との深い、奥義の関係を持って献身して共同体に使えていきます
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