坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

日曜日, 6月 21, 2009

神様の召しに答える人生に祝福がある

使徒行伝9;23-31
神様は私たちの人生、一つ一つを大事に計画を下さいました。今日のQT箇所に出てくる「サウロ」と「バルナバ」もそうです。慰めの人と呼ばれたヨハネことバルナバは、サウロがエルサレム教会の使徒たちに受け入れてもらえないときに、サウロの劇的な改心を紹介し、また使徒たちや教会の関係を取り持ちました。そのおかげで、サウロは教会に受け入れてもらい、交わりの中に入って、彼の賜物である外国語を自由自在に使ってギリシャ語を使うユダヤ人に伝道することが出来ました。今日与えられた恵みは、与えられた賜物を使うのは神様の導きを感じ従う心にかかっている、ということです。いくら、ギリシャ語やへブル語が自由に話せても、それを使う心が大事です。まして、神様のために遣うささげる心、それは兄弟姉妹との関係の中で用いられるのです。信仰の成熟した人は人に仕えることが出来ます。それは、比較意識や劣等感と違って神様の中にあるアイデンティを持って自由に仕えることが出来るのです。アノ人の賜物は目立っている、同じ奉仕をしても、アノ人が用いられていると考えるなら不幸です。しかし、人はそう考えがちです。どうしたらいいのでしょうか。それは、神様の計画の中にあって賜物をベストを使って奉仕するときに、神様の大事なみわざがすすみ、本人も幸福だし、神様に栄光も返せるのです。バルナバは人と人の間に立つ、とりなしの働きをしました。そして、世界宣教の器であるパウロを立てました。人を建てる人は実はアマリ多くいません。また、その人が用いられると嫉妬を起こす人もたくさんいます。残念な話です。私たちの人生を最高に輝いて、幸福に生きたいでしょうか?神様と親しくなることです。神様の声を聞いて、したがって生きることです。神様の情熱的な最高にあなたらしく生きる人生が待っているのです。そこには、人との比較意識がありません。神様のみに栄光を返す、礼拝する人生です。今日は、心をオープンにして交わり、偏見をおいて人を建てる礼拝と交わりをしていきます。