坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 6月 03, 2009

祈りの聖なる習慣を持つと言葉が変わってくる

使徒行伝3:1-10
使徒ペテロとヨハネは午後3時の時間に祈りの時間に宮に行きました。私たちの一日のスケジュールはどうなっているでしょうか?また、一日の習慣はどのようなものがあるのでしょうか?神様のために喜んでしていることや習慣がどれほどあるのでしょうか?ここ数週間、あっという前に時間が過ぎている気がします。目覚めて歩んでいないと、何と日常生活に流されることであるのか?と思わされました。ペテロとヨハネは神様のための霊的な習慣を持っていました。そんな祈りの習慣を持っている彼らに生まれつきの立てない人が「施し」を求めてきます。普通ならどのような反応をするのでしょうか。お金を施すのか?施せないことを悔やむのか、無関心なのか?いろいろあるでしょう。しかし、ペテロとヨハネの反応は違いました。それは、「金銀は私にないが、あるもんをあげよう。ナザレのイエス・キリストのみなによって歩きなさい」でした。神様にある祈りの習慣、祈っている人は神様との交わりがあります。神様の心を聞いています。そこで、本当に彼に必要なものを与えることができたのです。祈る人は、
①与えるイエス・キリストの愛の心を持っています
②イエス・キリストの名前に力があることを信じて、確信して、宣言することができます。
③霊的な神様の心を持って相手に接し、話すことができます。
私にとって、祈りの時間を回復するようにします。一日、一週間を神様の霊的な習慣を持っていきます。また、与える愛の心を持って歩みます。