坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 1月 26, 2010

イエスが分からないと神様のタイミングが分からない

ヨハネの福音書7;1-13
主イエスの兄弟たちも、主イエスがメシアであり、救い主であり、神様の子であることを一番身近で見ながらも、信じることが出来ませんでした。そこで、主イエスがユダヤ伝道をされずに、避けてガリラヤ伝道をしているときに「あなたのしているわざ」を見せてでも、人に認めさせよと、言います。彼らには「神様の技」とも、「神様のとき」ともいう考えはありませんでした。イエスは自分のしたいことや自分のときで行動せずに、神様のみ心だけを行い、神様のときだけで行動しました。イエスは神様のみ心だけを行い、信じているために、自分のされていることや言葉に自信がありました。しかし、逆に神様のみ心を行わない人や、信じない人には「確信」がないのです。恐れがあり、人の目を診て行動します。人の目で時間を決めます。しかし、神様のみ心を行う人には「行動原則」があるのです。それは、時に人から憎まれ、理解されないかもしれません。しかし、イエスを見るときに神様のタイミングが分かります。そのポイントは、神様のみ心しか行わない、行えない、という徹底的な神様の最高の計画があることを信じるイエスの従順です。そのイエスを知る一日を早朝祈祷会、奉仕を通して、QTを通して知って生きます。私たちの人生を導く神様の計画を信じます。

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