坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

金曜日, 1月 15, 2010

自分の経験や理解を超えるのが神様の奇跡

ハネの福音書5;10-18
神様の奇跡に一番否定的な人は誰だったでしょうか?それは、ユダヤに於いて専門の宗教家たちが一番否定的で、懐疑的で、自分の経験や理解を超えたものに、否定をして、攻撃をしていったのです。それは、律法を守ることに自分たちを満足させ、他人から尊敬を受けて、自分たちのポジションを築いていったのです。律法を通して、神様に出会う教師としての役割が人間を満足させる宗教になってしまったのです。神様に出会うことが、律法の目的であり、自分で律法を守れないときに、救い主なるイエスに出会うはずなのです。ところが、律法を、キリスト教を宗教とするときに、自分の立場を、自分の経験や理解、知識を壊される体験をしたときに、否定します。それは、地上にある教えだからです。天上にある教えは、人間の理解を超えます。自分の体験したことの無い神様の教えを、神様の奇跡をみます。一度も体験したことの無い信仰生活を、教会生活を、奉仕を、します。昨日の教えや自分の過去の痛みに縛られません。はたして、私は神様の新しい教えに従順に生きているでしょうか?神様に期待しているといって、自分の考えに即さないものはきても、喜んでいるのでしょうか?人の癒しや、安息日の真の意味であり、主人公であるイエスを押し出していないでしょうか?宗教をするクリスチャンになって、神様のみ技を喜んでいない人になっていないでしょうか?宗教クリスチャンでなくて、生きている神様のみ声に反応するクリスチャンになって行きます。他の人を通して神様のみ技がなされた時に、ねたまず、拍手し、祝福します。

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