坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 1月 18, 2010

御言葉を聞くと神様の愛を受け取れる

ヨハネの福音書5:39-47
主イエスについて、旧約聖書はメシアが来れる預言を330語っているといわれます。そして、モーセを通して与えられた律法には「義を守られぬ自分を知らしめ」神様のメシアが来られるのを待つしかないことを示します。そこには、私たちを憐れまれて、愛してきてくださった主イエスの愛があります。旧約聖書から新約聖書まで、神様の愛で金太郎飴のように溢れています。そのクライマックスが福音書です。主イエスが来られたことです。しかし、律法学者、宗教者やユダヤ人たちは受け入れませんでした。それは、愛されていることへ拒否反応であり、自分たちが義であるとして、自分たちの罪を暴かれるように感じたのです。罪が示されるのは愛が無い人には出来ません。その人のために命を掛けることがなければ、意味の無いものです。主イエスの合いの提示は、命がけです。その主イエスの愛で、まず自分から悔い改めて相手を愛します。恵みの反応を相手の言葉や行動に示します。

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