坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

日曜日, 12月 20, 2009

神様の道を見た瞬間、胸がさかれるのか?


第二歴代誌34;14-28
今日から、また歴代誌のQTです。今日の内容は、主の宮で律法の書が見つかる所からです。ヨシヤ王は、主の律法が見つけられたときに「自分の衣」をさきます。はたして、今までイスラエルには「主のみ言葉」が不在であったのです。ヨシヤ王は神様の道が示されたときに、それと違う自分の人生に胸をさきます。それだけでなくて、「主の御心」を求めに行かせます。神様のみと自分の道が違うことは何と寂しいことでしょうか?しかし、それだけでなくて「神様の道」と「自分の道」が違うときに、悲しみの痛みがないことがもっと怖いことなのです。また、神様の道を求めるために、主の御心を求めるために、「女預言者」のもとへ向かうことになりました。
私たちの心に、私のここに必要なことは、クリスマスに、年末に必要なのは「謙遜な、貧しい」心でないでしょうか。神様のみ心を求める謙遜な心であり、人を通しての痛い言葉に耳を傾ける姿勢でないでしょうか?そのようなヨシヤの心に、神様は哀れみの心で応えてくださいました。神様のみ胸に従って歩んでいきます。

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