坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 12月 16, 2009

悔い改めとは愛に回復すること


第二歴代誌33:10-
ヒゼキヤ王の後に、このマナセが王となりました。しかし、彼の前半の人生は神様以外のものを偶像礼拝し、偶像を神様の宮におき、占いをし、イスラエルの民を迷わせました。そして、主の目の前に悪を行い、主の怒りのためにアッシリヤの将軍の配下により、バビロンに連れて行かれました。その悩みの中で、マナセはおおいにへりくだった時に神様は哀れんでくださり、もう一度イスラエルに戻してくださいました。そして、マナセは後半の人生を「主こそ神である」ことを知る人生へ戻していきました。偶像を除去し、礼拝を回復しました。はたして、神様のあわれみはいかばかりでしょうか?また、マナセのへりくだりはどうでしょうか?本当に素直に神様の前に「謙遜」になっているでしょうか?意外と誤って、悩みの中に会っても「悔い改め」は難しいものです。しかし、神様へ悔い改めるなら、「愛の関係へと回復」してくださることを覚えたいと思います。悔い改めて、ごめんなさいで「以前に罪を犯したもの」という白い目でなくて、礼拝者として、人々に良い影響を与えるものとして生きる真の人生の道が用意されているのです。愛の関係に回復する悔い改めをしていきます。

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