坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 12月 16, 2009

リバイバルは聖めから


第二歴代誌34:1-13
ヨシヤ王は8歳で王になり、16歳の時に「神殿礼拝」を回復しようとします。その第一は、
①:「きよめ」からでした
②:その原動力は、「主の目にかなうことを」行うことからでした。
神様を愛することから、神様を愛することからスタートしました。そして、それは偶像を除くこと、それも徹底的に、偶像崇拝を行わせた人々を除くことからスタートしました。ある意味過激と思えるほどの行動でした。はたして、私はそこまで罪を憎み、根源を切り捨てることをしているのでしょうか?そこまでしなくてもいいという、状態で歩んでいないでしょうか。ぬるま湯の信仰生活、きよめの無い生活をしていないでしょうか?
③:また神殿の回復は祭司とレビ人たちの奉仕の回復であり、献金の回復でもありました。
④:共に神殿礼拝に仕えていく回復でした。
信仰生活のリバイバルは、一人でするものでなくて、共同体で共に奉仕し、ささげ、仕えるものでした。ベストを尽くして奉仕をしているのでしょうか?ささげものがあるのでしょうか?きよめを自分から、そして共同体の中で、きよい影響力をもって仕えます。主よ、きよめて用いてください、

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