坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 7月 21, 2009

神様の前の価値

使徒行伝19;13-22
今日の聖書箇所は、使徒パウロが悪霊を追い出し、病を癒すのを見たユダヤの祭司長スケウの7人の息子たちがまねをして、悪霊にお前たちを知らない、とひどい目にあったことが出てきます。思うに、宗教指導者の息子たちのこの悪霊を追い出す行為をしようとしたことは、まさに神様の力を利用する宗教という名前を借りた恐ろしい罪を感じます。宗教指導者の一代目はともかく、かえって何も神様の関係の無い2代目が悪用する話が、聖書にたびたび出てきます。それは、下手をすると現代の宗教、私たちの教会の中に出てくるかもしれません。また、自分が神様の力を、神様と私の関係を持つことなく、神様の力を利用しようとするかもしれません。私たちは聖霊様の力を勘違いすることなく、人格的な交わりを体験して、生活することが大切であり、祝福であり、喜びなのです。主イエスを信じたときに、永遠に私と共にいる、と約束を下さったのです。その結果が、信仰に入った人が、自分たちの以前の生活をさらけ出し、告白し、魔術を行ったものが書物を捨てた、という事件です。それは、銀貨5万枚という大変なお金、価値でした。しかし、それらを捨てても新しい神様の関係を邪魔するものを捨てたい、そして罪を告白する信仰の共同体にみなが出て行ったのです。その結果は、神様のみ言葉は驚くほど広がったのです。
①信仰の共同体に告白するところに力がありました
②神様の前に私が捨てるべきものは何でしょうか?
③神様の関係がどれほど勝ちあるものか?大事な関係を壊すものを捨てないといけません
それは、喜びなのです。
神様の関係を持つ中に、本当のリバイバルがあると信じます。