坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 7月 08, 2009

神様の夢には、備えがある

使徒行伝16;1-15
使徒パウロとシラスは、宣教旅行に向かい第一次宣教旅行で立ち寄ったルステラとイコニウムに再びきます。ここでは、以前に何があったでしょうか。ルステラでは「パウロとバルナバをギリシャ神話でのように神様に仕立てようとした都市」です。また、イコニウムでは「宣教をしていて他からやってきたユダヤ人たちにそそのかされた人々がユダヤ人と使徒たちの派に分かれて石打ちされそうになった」場所です。どちらも、難しく、困難に出会った場所です。もしかして、行きたくない、会いたくないと思えるような状況であったかもしれません。しかし、そこには迫害や困難、命の危険、偶像崇拝の危険があっても、主イエスの福音が伝えられて教会が立てられた場所です。そこには、自分の行きたいとか行きたくないでなくて、神様のビジョンと夢を一緒に持った人が仕えていました。そこには、テモテという若い、新しい働き人が用意されていました。第一次宣教旅行の際にあったかもしれませんが、神様の備えのときに、準備された人材が供えられたのです。今日の黙想は
①困難や迫害のある場所に、自分の会いたくない人や行きたくない場所に行っているのか?
②迫害や困難への自分の対処、扱い方はどうすべきなのか?
③神様の夢を持って自分の人生を従っているのか?
④神様の備えを経験しているのか?パウロたちは第二次宣教旅行ではアジア伝道するはずが、エペソなどギリシャ、マケドニアを行くことになりました、それは、遥かに大きい神様の夢、計画がヨーロッパに広がっていく計画があったのです。そこには、私たちを思って最善の道へ、最高の計画へ導く神様の情熱と愛があったのです。紫布商人ルデヤが備えられて宣教の地へ準備がなされました。泊まる場所もなかった使徒たちに泊まる場所はもちろん、教会、クリスチャンすべてが備えられたのです。現在にこのようなことをしたら大変なことかもしれません。しかし、主の幻を見る人には備えがあります。神様の計画の前に、ビジョンを持って立ち上がっていきます。