坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

木曜日, 5月 21, 2009

自分を捨てたルツは全能者なる主を報いとして得た

ルツ1;15-22
ナオミは言った「ご覽なさい.あなたの弟嫁は自分の民とその神のところへ帰って行きました.あなたも弟嫁にならって帰りなさい.」ルツは言った.「あなたを捨て,あなたから別れて歸るように,私にしむけないでください.あなたの行かれる所へ私も行き,あなたの住まれる 所に 私も 住みます.あなたの民は私の民,あなたの神は私の神です.あなたの死なれる所で私は死に,そこに葬られたいのです.もし死によっても 私があなたから離れるようなことがあったら, 主が幾重にも私を罰してくださるように」 ナオミはルツが自分といっしょに行こうと堅く決心しているのを見ると,もうそれ以上は何も言わなかった. それから,ふたりは旅をして,ベツレヘムに着いた.彼女たちがベツレヘムに着くと,町中がふたりのことで騒ぎ出し,女たちは「まあ.ナオミではありませんか」と言った. ナオミは彼女たちに言った.「私をナオミと呼ばないで,マラと呼んでください.全能者が私をひどい苦しみに會わせたのですから. 私は滿ち足りて出て行きましたが,主は私を素手で帰されました.なぜ私をナオミと呼ぶのですか.主は私を卑しくし,全能者が 私をつらいめに會わせられましたのに.」こうして,ナオミは,嫁のモアブの女ルツといっしょに, モアブの野から帰って來て,大麥の刈り入れの始まったころ,ベツレヘムに着いた.
ルツ記のQTはいかがですか?いやー本当に面白いですね、聖書は読むたびに違うし、信仰が成長したり、学びをするたびに、さらに面白くなります。今日のQTはルツとナオミの態度が対照的です。
ナオミは、モアブの民に、モアブの神にもどれ、弟嫁に習って帰りなさい、と言います。もちろん、これからの苦難を考えたり、モアブの民がイスラエルで生活する大変さを考えたのでしょうが、
ルツは、こう言います「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神、死んでも離れない、死んで離れたら神様が罰せられますように」と。何とたいした女性でしょうか。自分の民を捨てて、あなたと共に行きます、そして神様を主と告白します。ルツは全てを捨てたのです、しかし、それは全能者なる神様を選んだ献身です。それは、祝福への道です。⇒弟嫁は自分を民を捨てることはありませんでした。人間的に見たら理解できることでしょう。しかし、ここで考えれるのはナオミやエリメレクは結婚した時の家族への信仰教育はどうしていたのか?という疑問があります。聖書には
①2人は両親を離れて一つとなる(創世記2章)とあります。モアブの女性が結婚したのならモアブからも離れて、新しい信仰の共同体に来るはずです。
②ルツは自分の民を離れて、出来た家族と言う共同体を選びました。それは厳しい道の選択だったはずです。それでも、家族を守り続けました。計算したら良いはずがありません。神様がおられることだけが最高の、素晴らしい要素であるだけです。
③ナオミとルツがベツレヘムに戻ってきた時に「大騒ぎ」になったとあります。町中が戻ってきたことを知ったのです。
④ナオミは全てを失って戻ったのは全能の神様によると言いました。それは、神様への傷だったのでしょうか。それとも、リビングライフの解説にある「神様が今の私に必要だから与えられたマラ」だと思ったのでしょうか。どのように受け止めるのか?それは、大きな差があります
⑤ナオミにとって主人と息子2人を失ったことは大きいでしょう。もしかしたら大金持ちだったのかもしれません。しかし、素手で帰ったと言っても普通ルツがいるのに、そういうセリフは言わないでしょう、彼女にとって一緒に帰ってくれる人はどれほど嬉しかったでしょう。
今日のルツ記は、密かに静かに御業をなされる全能者なる神様の雰囲気を、期待させながら終わります。誰も、今はその意味を知りませんが。それは、ベツレヘムの町中がナオミが戻ってきたことを知り、ルツを全ての人が知っていること(ボアズにも伝えれる)、そして「大麦の刈り入れが始まった」時に戻ってきたのです。神様の祝福のときが始まろうとしています。今朝は、このように祈りました。①ルツのように自分の民国を捨てても、苦しい、しかも、将来が目に見えないとしても全能者の神様を選ばせてください、②全能者なる神様の計画を信じ、期待します、③家族と言う共同体を選び与えてくださった神様に感謝して守れますように、ルツのような信仰を私たちの家族にも与えてください。YOU RAISE ME UP 主よ、全能者なるあなたが私の人生を下げ、そして上げてくださる方です。あなたを信じます。