坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

日曜日, 5月 24, 2009

あなたの身の落ち着くところが必要です。


ルツ3;1-9
しゅうとめナオミ は彼女に言った.「娘よ.あなたがしあわせになるために,身の落ち着く所を私が搜してあげなければならないのではないでしょうか. ところで,あなたが若い女たちといっしょにいた所のあのボアズは,私たちの親戚ではありませんか.ちょうど今夜,あの方は打ち場で大麥をふるい 分けようとしています.あなたはからだを洗って,油を塗り,晴れ着をまとい,打ち場に下って行きなさい.しかし,あの方の食事が終わるまで,氣づかれないようにしなさい.あの方が寢るとき,その寢る所を見屆けてからはいって 行き,その足のところをまくって,そこに寢なさい.あの方はあなたのすべきことを 敎えてくれましょう.」 ルツはしゅうとめに言った「私におっしゃることはみないたします.」 こうして,彼女は打ち場に下って 行って, しゅうとめが命じたすべてのことをした. ボアズは飮み食いして、氣持ちがよくなると、積み重ねてある麥の端に行って寢た.それで, 彼女はこっそり行って,ボアズの足のところをまくって,そこに寢た.夜中になって,その人はびっくりして起き直った.なんと,ひとりの女が,自分の足のところに 寢ているではないか. 彼は言った「あなたはだれか」彼女は答えた「私はあなたのはしためルツです.あなたのおおいをげて,このはしためをおおってください.あなたは買い戾しの權利のある親類ですから.」
ルツの報告に、ナオミはこのように答えます。それは、あなたがしあわせになるために私が身の落ち着くところを探す、という言葉でした。それは、どこでしょうか?また、私たちにとって落ち着くところは何所でしょうか。緊張しない場所、経済的な必要、友人がいる、また何よりも愛する人がいる場所でないでしょうか。それは、神様の共におられるところです。それは全能者なる方がおられる、安心と愛を受ける喜びがあります。わたしを導かれる方がいるために生きる勇気が溢れていきます。この聖書箇所は、「結婚」について多くの部分を語ってくれています。それは、ボアズと言う人と結婚の準備をしようとした時に、まず「男性が(霊的、人格的、経済的、社会的)準備の出来ている状態であった、」ということです。何故、男性が家族のリーダーシップとして神様が立てられたのか?知ることが出来る霊的な法則であります。男性が立てられていないと女性が「生き生きと美しく」生きれません。逆に、男性は愛されて勇気を得ます。そして、今日の聖書箇所で驚くべきことはルツの従順です。ボアズの所に夜行くようにナオミに押されて彼女は「言われたことはそのとおりにします」というのです。いくらやもめとして、夜に綺麗にしてたずねていくことは考えることがあるでしょう。私には出来ないと思います。彼女の従順はどこから来たのでしょうか?それは、ナオミへの愛と信頼です。自分の命をささげても大丈夫、惜しくないと思える愛なのです。しかし、それにしても命をかけての行動です。そこに、大事なポイントがあります。それはボアズが「買戻しの権利がある親戚」であることなのです。タダ単にお金が必要で、神様と関係の無い結婚でなくて、神様の下さった律法によって守られる導きをナオミは感じたの違いありません。また、ルツへの願いと要求が決して強要でなかったことを覚えます。私たちは何か人に良い提案をするときに、強要をしていないでしょうか。私の意見が通らないことに傷ついたり、相手を恨んだりしていないでしょうか。神様の願いなら必ずなります。そのために必要なことは、私たちの謙遜と愛と、相手への神様の御心がなることを祈る愛です。また、願い求める時に相手の境遇や立場を考え、平和を保つ必要があります。ルツとナオミ、そしてボアズを通したなされた神様の願いがなされる人になりますように祈ります。