苦難は神様に会わせる

神よ. あなたは 私の 愚かしさをご 存じです. 私の 數¿の 罪過は, あなたに 隱されてはいません. (詩篇69:1-5)
祈りが、地上のレベルから天国のレベルにあがるのはいつでしょうか。肉的な祈りから霊的な祈りへと、適当な祈りから必死の祈りに変わるのはいつでしょうか。多くは、苦難のからおこることが多いのでしょうか。ダビデは神様の素晴らしさを宣言する賛美も書きながらも、多くの苦難の詩篇も書きました。それほどまでに、苦難が多かったからです。しかし、苦難は訓練でした。なぜ、神様は苦難を与えられるのでしょうか。切に神様に合わせるためでないでしょうか。神に出会うことは、喜びよりも苦難よりも大事なことです。罪を神様の前に悔い改めるときに、それは神様の愛を回復することを意味します。神様以外に頼るものが無いときに、祈りを教えられます。苦難は私を壊すためでないのです。こに下半期は祈りを教えられるときとなりました。義の苦難を受けるクリスチャンは本物のクリスチャンです。私の涙が聖い賛美に変わっていく日となることを信じ、今日も祈ります。
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