人生の主観者なるイエス
どうか, 神が 私たちをあわれみ, 祝福し, み 顔を 私たちの 上に 照り 輝かしてくださるように. セラ それは, あなたの 道が 地の 上に, あなたの 御救いがすべての国々の間に知られるためです. 神よ.国々の民があなたをほめたたえ,国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように
詩篇67:1-3
今朝は、「なぜ」と「誰」というところからQtを黙想しました。なぜ、私たちのあわれみ、祝福すること、御顔を照らすことが、神様の道を全世界に知らせ、神様の救いを知らせることになるのだろうかと思いました。そして、3節と5節は同じ内容であり、「なぜ」繰り返されるのか?と思いました。また、私たちは「誰」なのか?と黙想しました。それは、ここではイスラエルの民であり,信仰者であることを思いました。信仰者は神様の主権を認め、人生のドライブを神様に任せる人のことです。そして、神様の人生におけるみわざを賛美します。そう生きるときに、まことの神様の道が救いが、示され、栄光をあらわす人生となります。
私にとって、今日この韓国で神様の栄光をあらわす人生を生きることを祈ります。
日本の教会のお客様に仕えること、留学生のためのクリスマスパーティに、人生の計画に
神様の主権をゆだねて生きます。
私にとって、今日この韓国で神様の栄光をあらわす人生を生きることを祈ります。
日本の教会のお客様に仕えること、留学生のためのクリスマスパーティに、人生の計画に
神様の主権をゆだねて生きます。
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