坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 12月 11, 2007

ほむべきかな、日々私たちのために,重荷をになわれる主. 私たちの救いであられる神.セラ
神は私たちにとって救いの神.死を免れるのは,私の主,神による.(詩篇68:19-21)

霊的な戦いは人生を生きる限り、続くものです。それは、おかしいものでありません。霊的な戦いを続けて、ゆれることが無いのは神様が私と共におられるからです。ハレルヤ主イエスのみなをほめたたえます、と今日のQTの聖書は語ります。何故でしょうか。日々私のために重荷をになわれるからです。一年に一度でなく、昨日まででなく、今日だけでなく、明日も重荷をになわれるからです。私たちの重荷には、どのようなものがあるでしょうか。
①日ごとの心配、②将来への心配、③人間関係の悩み、④自分の欲心、⑤うらみ、⑥自分がもっとよくなりたい、⑦人間関係の傷、⑧家族への責任
神様が重荷をおってくださることと、問題を解決し、私を癒し、平安をもたらし、その祝福を信じたいと思います。重荷を恐れずに生きていきます。