坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 12月 11, 2007


神よ.御力を奮い起こしてください. 私たちのために, 事を 行なわれた 神よ. 御力を 示してください.葦の 中の獣、それに,国々の民の子牛とともにいる雄牛の群れを,叱ってください.銀の品々を踏み汚す戰いを喜ぶ,国々の民を散らしてください. 神の力を認めよ.みいつは イスラエルの上に, 御力は雲の上にある.(詩篇68:28,30,34)
神様は私の生きていく目的です。神様を愛することは人生の目的です。手段でありません。もしも、神様を手段にするならば、恐ろしいことになります。神様の力を手段にしようと、自分の力にしようと誤ることが多くありうります。●力はできること、見る力、区別する力、きくちからなどあります。
●しかし、衝動を止める力(セルフコントロール)することは非常に大事でないでしょうか。
●また、神様に任せる力があります。
今日は、留学生のためのクリスマスパーティでした。難しい緊張感やいろんなものがありました。私にとって神様を手段にしかねない祈りや、神様に任せる力をなくしたり、相手の明らかに失礼なこまった態度から人に起こりたい感情がありました。しかし、神様の力を求めます。私の心の中の獣を主イエスが叱ってくださる時となりました(30節)。また、神様の力を認める日となりました。人は自分が思うようには強くないものです。まことの神様を知ってこそ、神様の力を受けて生きるものとなります。クリスマスパーティは非常に楽しく、80名ほどの人が集まり、ノンクリスチャンが3分の一ほど、新しい人も多く来てくれました。神様の力の前に降参し、賛美します。