坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 12月 12, 2007

御救いとは?

しかし私は惱み、痛んでいます.神よ.御救いが 私を 高く 上げてくださるように. 私は神の御名を 歌をもってほめたたえ,神を感謝をもってあがめます.それは 雄牛, 角と 割れたひずめのある 若い雄牛にまさって 主に 喜ばれるでしょう.
心の貧しい人たちは,見て,喜べ.神を尋ね 求める 者たちよ. あなたがたの 心を 生かせ. 主は,貧しい者に耳を傾け,その捕われ人らをさげすみなさらないのだから. まことに神が シオンを救い, ユダの町々を建てられる.こうして 彼らはそこに 住み, そこを 自分たちの所有とする. 그의 종들의 후손이 또한 이를 상속하고 그의
이름사랑하는 자가 그 중에 살리로다 主のしもべの子孫はその地を受け繼ぎ, 御名を愛する者たちはそこに住みつこう.(詩篇69:29-11)
ダビデの祈る「救い」とは何でしょうか。毎日繰り返される神様への「救い」とは何でしょうか。「罪からの救い」「現実からの戦いへの救い」「神様との共にいること」です。神様のみなは力あるみなです。その御性質そのものです。神様そのもの、アイデンティです。その方に頼って、賛美して、感謝するなら、主はささげものよりも喜んでくださるのです。また、神様は貧しいものに耳を傾けてくださるのです。貧しいものは、①文字通りに貧しいもの、②神様がいなことが貧しいと思うものです。神様はそのようなものに約束の地を与えてくださいます。人生の約束の地、神様が共にいるところで賛美して歩みます。