父の心がわかる人
愛する者たち、私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。(第一ヨハネ4:7)
偽教師や偽の教えに対して、今日のQT箇所は、「人となってこられたイエス」を告白しない者と教えます。逆に、イエスを告白する霊は、世に勝った者である、それは神の霊によると教えてくれます。人の力、知恵以上のもである神様の霊。人の力や限りのある理性では神様の愛も、救いも理解できないのです。それ以上に、神様の霊が語りかけて下されないと悟れないのです。
実は、今朝のQTはすごく難関なものでした。後半の神を愛する、互いに愛し合うは簡単に黙想できます。しかし、この前半部分からの今日の父なる神様の声を聞くとは難しさを感じました。
後半とどのように繋がるのだろうか。
人としてこられたイエスを告白するとは、十字架にイエスをかけた父なる神の愛を知ること、
悟ることであると、という黙想が与えられました。それが分からないものには、神は分からないのです。 だからこそ、互いに愛し合うわけなのです。
最近の黙想の中で、父なる神の心を知るということが、私にとってマイテーマになっています。
今日の私にとって、働きは忍耐の多いものになりました。
非常に難しさを感じる瞬間もありました。しかし、全てのことを耐え忍ぶ神様の愛で歩めることを
感謝し、賛美します。
偽教師や偽の教えに対して、今日のQT箇所は、「人となってこられたイエス」を告白しない者と教えます。逆に、イエスを告白する霊は、世に勝った者である、それは神の霊によると教えてくれます。人の力、知恵以上のもである神様の霊。人の力や限りのある理性では神様の愛も、救いも理解できないのです。それ以上に、神様の霊が語りかけて下されないと悟れないのです。
実は、今朝のQTはすごく難関なものでした。後半の神を愛する、互いに愛し合うは簡単に黙想できます。しかし、この前半部分からの今日の父なる神様の声を聞くとは難しさを感じました。
後半とどのように繋がるのだろうか。
人としてこられたイエスを告白するとは、十字架にイエスをかけた父なる神の愛を知ること、
悟ることであると、という黙想が与えられました。それが分からないものには、神は分からないのです。 だからこそ、互いに愛し合うわけなのです。
最近の黙想の中で、父なる神の心を知るということが、私にとってマイテーマになっています。
今日の私にとって、働きは忍耐の多いものになりました。
非常に難しさを感じる瞬間もありました。しかし、全てのことを耐え忍ぶ神様の愛で歩めることを
感謝し、賛美します。
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