坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 10月 16, 2007

私たちの追及すべき教会(宣教)


また、イスパニャに行く場合は、あなたがたのところに立ち寄ることを希望していましたので、

というのは、途中あなたがたにともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです。(ローマ15:22-23)


私たちの教会のクライマックスは何でしょうか、また教会はどこに行くべきでしょうか。それは、未だイエス・キリストを知らない人のところに宣教しにいくことです。未だに、日本の教会が伝道が難しいといわれ(誰が言っているんでしょうね、誰がそうだと思っているんでしょうか)、ても宣教の為に私たちは目を上げる必要があります。今朝のQTから、宣教する教会のモデルをローマ教会へのチャレンジから見ました。使徒パウロの心の、ハートビートが聞こえてきそうな聖書の内容です。
使徒パウロは、ローマ教会の人々に出会うことを希望します。それも、「共にいて心満たされて、イスパニヤに送られたい」と希望するのです。聖徒の交わりはこういうものであることを示しています。
事務的ローマ教会の人々に出会うことでなく、出会うことで心満たされ、また、自分ひとりで宣教するのでなく、祈りに送りだされて、経済的なサポートも受ける必要があるのです。それは、聖徒にゆるされた美しい家族の交わりです。私たちがキリストの愛を受けたのは、宣教師を送ってくれた大きい教会、小さい教会の祈りと献金のゆえです。そこに、神様の働きをなされてきたのです。私たちも、次の宣教地に宣教師を送り出さないといけません。キリストの満ち満ちた祝福はそのようにして運ばれます。特に、私も個人的にアメリカの宣教師と子供のころからお世話になったり、共に開拓教会で奉仕したこともあります。


今朝、私に示されたことは、

①宣教師に感謝すること「それは、宣教師を偶像化することでなく」また、「自分たちの文化を理解できなかった宣教師への不平、不満でもなく悔い改めです」

②聖徒の交わりを私はしているのか、宣教師のためにとりなしているのか

③今日は、サラン教会の所属する大韓イエス教長老会の東ソウル老会がありました(日本で言うと教区でしょうか)。そこでの交わりを大事にすること

④いこいのある交わりをすることでした(32節)

いつの日か、奉仕する教会から宣教師を送り出す使徒時代的な教会を目指して。