坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 10月 24, 2007

何故、大胆に生きれるのか?

愛する 者たち. もし 自分の 心に 責められなければ, 大膽に 神の 御前に 出ることができ,
また 求めるものは 何でも 神からいただくことができます. なぜなら, 私たちが 神の 命令を 守り, 神に 喜ばれることを 行なっているからです. 神の 命令とは, 私たちが 御子 イエス · キリスト の 御名を 信じ, キリスト が 命じられたとおりに, 私たちが 互いに 愛し 合うことです.
神の 命令を 守る 者は 神のうちにおり, 神もまたその 人のうちにおられます. 神が 私たちのうちにおられるということは, 神が 私たちに 與えてくださった 御
によって 知るのです. (第一ヨハネ3;21-24)

何故、人は恐れるのでしょうか。何故、人は心配になるのでしょうか。何故、人は自信を持てないのでしょうか。未知の世界への恐れ、受け入れてもらえるのか分からない対人関係、自分に反対する人、 自分が自分の存在を価値を証明しないといけないかのように、結果をだすことに必死になるのでしょうか。今日は、そんな私に神様と親しい関係を持つものは、神様の友となるものは 神の言われることに耳を傾けるから、神様の御心を行なうときに大胆に、恐れずに生きれることを 教えてくれます。神様への祈りの答えがいただけることを確信していけます。
神様の心を知る者は、神様のみ心にふさわしい祈りをします。
そして、神様の祈りの答えを確信して、期待できます。
また、何故平安を無くすのか、それは神様のみ前に自分がいないからです。
また、神様のみ前にいることを忘れるからです。
子よ、友よ、私はあなたと共にいるんだよ、という愛の声を聞くものに恐れはありません。
また、神様のみ前にいる者に、罪を犯すことはできません。なぜなら、神様に愛されているからです。
自分に対して失礼な人への嫌な思い、自分を傷つける人へのいろんな思いは、神様の不在からくること、神様の愛を忘れていることから、くることを思いました。
今日、私の目の前には奉仕への成功、失敗への恐れがありました。未信者への伝道することにより、 彼の心を害さないか、恐れがありました。しかし、神様のみこえと信仰によってはじめたことを恐れなくすすむことを決意します。