共に仕える

彼らは 敎會の 集まりであなたの 愛についてあかししました. あなたが 神にふさわしいしかたで 彼らを 次の 旅に 送り 出してくれるなら, それはりっぱなことです.
彼らは 御名のために 出て 行きました. 異邦人からは 何も 受けていません.
ですから, 私たちはこのような人々をもてなすべきです. そうすれば, 私たちは 眞理のために 彼らの 同勞者となれるのです. (第三ヨハネの手紙1:5-8)
教会の献身者だけが、宣教師だけが神様の働き日人なのではありません。真理の同労者として、宣教師を「神にふさわしい仕方」で仕えるものには、真理のための「福音を伝える」同労者となのです。キリスト教の大切なメッセージは、真理と愛です。多くの宗教は、多くの社会は愛と真理が共存することが難しく、もしくはありえない話です。しかし、キリストの十字架は、真理と愛を共存させます。ここで感じたことは、宣教師を「神に対するように」仕えた美しい愛なのです。
私は、何か人に仕えるときに、出し惜しみしていないでしょうか。
また、人を見て判断していることが無いでしょうか。自分のいろんなものを出し惜しみしていないでしょうか。そこには、十字架でしなれた主イエスの感動がありません。
今日、仕える人に心からの愛をもっていきます。
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