坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 10月 29, 2007

異端や分派にどう対するのか

なぜお 願いするかと 言えば, 人を 惑わす 者, すなわち, イエス · キリスト が 人として 來られたことを 告白しない 者が 大ぜい 世に 出て 行ったからです. こういう 者は 惑わす 者であり, 反 キリスト です. よく 氣をつけて, 私たちの 勞苦の 實をだいなしにすることなく, 豊かな 報いを 受けるようになりなさい.
だれでも行き過ぎをして, キリストの敎えのうちにとどまらない者は, 神を持っていません.その敎えのうちにとどまっている者は, 御父をも御子をも持っています.
あなたがたのところに來る人で, この敎えを持って來ない者は,家に受け入れてはいけません. その人にあいさつのことばをかけてもいけません. そういう人にあいさつすれば,その惡い行ないをともにすることになります.(第二ヨハネの手紙1章6-11)

人を惑わす時代です。それは、面と向かってくる敵よりも、内部からの攻撃や判断しにくい、またに人間の情に訴えてくる、難しい敵が多くあります。教会内部の敵や、異端や分派が多くあります。近代神学は今まで考えても見なかったキリスト教内部の攻撃がもってきました。
キリストの奇跡を信じない、創世記の創造を信じない、などの戦いが起こりました。また、教会観についても、現代社会は大きく揺れたり、日本宣教でも教会の内部で戦いが起こったり、難しい問題が福音宣教を広げる前の難しいチャレンジがあります。
今日のQTは私にとって、非常にタイムリーな御言葉でした。異端や分派に対して、「よく気をつけよ、労苦の実を台無しにすることの無いように」とあります。また、異端を受け入れるな、ということを10節は言います。家に受け入れずに、挨拶もするな、とあります。
まるで、冷たいような気がしますが、その人を憎むのでなく、その教えを憎むこと、受けれいるな、境界線を引くことをいいます。キリストの十字架の共同体を壊す、混乱させる人へ境界線を引くこと、警告を与えることをいいます。私がまず福音の教えにしっかり立つこと、惑わされない人になること相手に影響される人でなく、相手に福音の影響を与える人にならないといけません。分派を引き起こすこと、引き起こされること、警戒を与えます。教会の共同体が、その労苦の実りが台無しにならぬように、報いが大きく受けれるようにヨハネが勧めます。
境界線と警告、そして神様の実りを結ぶために働きます。