神様に預けれたものを使う人生
第二テモテ1;9節「神は私たちを救い、また聖なる招きを持って召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのです。この恵は、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって」神様のCALLINGは不思議です。世の中の能力のある人や知恵者でなくて、私を、私たちを選ばれたのです。それは絶対的に人間の力でなくて、私が何かした(罪びとで神様を認めずにいたのに~ありえますか)?でなくて、神様の恵み、プレゼントなのです。その人生を大事に生きずにどうするのでしょうか?聖なる招きなのに!誰もがこんな風に行きたい、と思える尊い招きでないでしょうか?それを邪魔するものは何でしょうか?世の中の苦しみ、そして究極的にはイエスを信じるゆえの苦難です。しかし、パウロは言います12節「そのために、私はこのような苦しみに会っています。しかし、私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は自分の信じてきた方を良く知っており、またその方は私のお任せしたものを、かの日に守ってくださることができると確信しているかです。」パウロは自分の信じているイエスを良く知っていると言います。はたして、私は主イエスを良く知っていると堂々といえるのでしょうか。まあ、少し知っていいるほうですけど、よく知ってるほうですけど、としか言えないのでは半分恥ずかしくて、謙遜、半分本当で思います。本当にもっと神様を知りたいです!その方は私の任せてきたものを守る方です。その方は14節「あなたにゆだねられた良いものを、わたしたちのうちに宿る聖霊によって守りなさい」とあります、主イエスは私のために十字架にかかり、全てのよいものを下さった方です。神様のために目的ある人生を下さった方です。そのために奉仕する賜物を与えてくださった方です。信じているでしょうか?知っているでしょうか?感じているでしょうか?今日、礼拝の中で主が良いものを下さったものを聖霊様が守り、祝福してくださることを信じます。神様に預けられた福音を使い、使命を果たしていきます。主イエスが共なりますように。
ラベル: 第二テモテへの手紙