自分のポジションが分かると自由に仕えれる
第一テモテ3;8「執事も、またこういう人でなければなりません。謹厳で、二枚舌を使わず、大酒のみでなく、不正な利をむさぼらず、」今朝は、執事についての条件からのQTです。そして、9節「きよい良心を持って信仰の奥義を保っている人です」あります。昨日の監督(牧師)と同じく、人格的な部分そして信仰の部分の両方を語っています。その上で、10節「まず審査を受けさせなさい、そして非難される点がなければ、執事の職につかせなさい」とあります。こういう基準を見た時に誰が合格でしょうか?神様のみ言葉によって自分は謙遜させられます。本当の自分を見させられます。人格的な部分、信仰の部分(少しは出来るとか、思っていた部分が全然出来ていないことを思います)すると、自分が信仰や奉仕においてどのようなポジションにいるのか?分かります。本当に謙遜な、自分の姿に見させられます。神様、あわれんでください、というほかない自分に気がつきます。この大事な奉仕に、自分がさせていただくにあまり貧しい、足りない、いやかえって邪魔になるようなものを用いてくださるの、あわれんでください、というしかありません。自分の本当の姿、ポジションが分かると奉仕への姿勢、自由になります。自分にないものや、出来ないことを正直に認めます。神様にだけ頼ります。そして何よりも、神様の家でどのように振舞うのか?分かります。真理の土台である、柱である教会でどのように振舞うのか?それは、怖れる心です(悪い意味でなくて)。しかし、仕える者には良い影響と祝福が待っています。神様の信仰の奥義を受けることを祈って奉仕して行きます、神様憐れんでください。
ラベル: 第一テモテへの手紙
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