優先順位を持つと有意義なことに人生を仕える
第一テモテ2;1「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人のために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい」使徒パウロは最初に祈るように勧めます、最初のプライオリティをつけます。私たちは、祈ると謙遜になります、祈ると自分が誰か分かります。神様を知れます、私は人間です。私が仕事をすると人間が仕事をします。しかし、祈ると神様が御わざをなされます。みわざをなされるのは神様です。でも、私は大事な責任を持って祈り、人生を生きないといけません。まず、最初に祈っているでしょうか?祈ると結果は何でしょうか?2節「敬虔に、威厳を持って、平安で、静かな一生」を過ごすためであります、一番願う人生でないでしょうか?敬虔でありつつも、威厳を持って生きる、なかなか難しいことでないでしょうか?敬虔でありつつも、人からなめられたり、威厳がないと難しいのないでしょうか?3節「神様に喜ばれることであり、良いことである」とあります、私の人生は、神様に喜ばれるために使われているのでしょうか?また、8節「男は怒ったり、言い争ったりすることなく、どこでもきよい手をあげて祈るようにしなさい」とあります、私の時間を、力を最初に何のために使っているのでしょうか?祈って何もしないのでありません、最初に祈るからこそ力があります。祈るからすべきことが分かります。自分の中に住まわれる聖霊様が生きます。今日、優先順位を持って生きます。
ラベル: 第一テモテへの手紙
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