坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 7月 31, 2010

従うときに完全になる

ヘブル人への手紙13;16-25
わたしたちの大祭司なる主イエス・キリストに従うときに、私たちは完全な姿になります。何故なら、罪あるわたしたち人間の姿から、完全な義であり、十字架で完全な愛を成し遂げてくださったイエス・キリストに似ていくからです、その心に従うときに、イエスとともに生きる友人となれます。人間同士の友人なのに、別々の考えや行動では生きていくことが出来ません。同じ考えの人や相手と同じ立場、心、愛する思い、好きな感情があります。神様に従うことと、神様の言葉である聖書、そして神様の建てられた指導者に従うときに、神様の祝福が来ます、完全な神様の栄光が現れます。主イエスの建てられた実際の指導者に従い、歩んでいきます。

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金曜日, 7月 30, 2010

イエスが自ら辱めを受けた

ヘブル人への手紙13;1-15
昨日も、今日も、条件によって、時間によって変わらない主イエスの一番の御性質は、愛です。それも、主イエス・キリストの十字架による愛です。それは、わたしを愛するゆえに、門の外で辱めを受けることをいとわなかったイエスの愛です。自分を捧げたイエスの愛です。わたしはどれほど、イエスのために愛にこたえているのでしょうか?イエスは自ら自分の権利を捨てて出て行かれたのです。主張すべきことを、していいことをされなかったのです。わたしの罪の救いのためなのです。自らを捨てて愛してくださったのです。イエスのために辱めをうけたことがどれほどあるのでしょうか?どれほど、イエスはわたしを愛してくださったのでしょうか?どれほど、わたしたちを愛してくださったのでしょうか?イエスの愛のために、門の外に出て行く愛にこたえて行くます。わたしの家族に、周りの人々に愛を持って仕えていきます。

木曜日, 7月 29, 2010

私の人生は何に近づいている

ヘブル人への手紙12;18ー29
私の人生のゴールはどこでしょうか?また、今の人生を通して近づいているのは何でしょうか?誰でしょうか?私の人生は、目的の無いあてずっつぽうな人生ではありません。目的や方向のある人生です。私の人生が何に近づいているのか分かるときに、今が変わります。価値観が変わります。今、そして未来に計画を持ってするべきことが分かります。永遠の礼拝のために、主イエスに出会う準備をしています。そして、地上でしか出来ない伝道があります。これから直接に出会うのは新しい契約の仲介者イエス・キリストそのものです。神様にあってゆるがない土台を持っている人生です。その主イエスにある正しい自信を持って、素晴らしい価値であるイエス・キリストを伝えていきます。主イエスこそ、わたしの財宝であることを信じ、告白します。

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水曜日, 7月 28, 2010

あなたの人間関係は平安のみが結ばれているのか?

ヘブル人への手紙12;9-17
キリストのきよめの訓練は、神様との愛の関係に現れます。罪を憎む関係に現れます。それは、人間関係に於いて平和があります。わたしの人間関係には、難しい人、失礼無い人、困った人にも平安のみが結ばれているのでしょうか?自分の力や人間の力では出来ません。神様に頼る以外ないのです。神様の力以外ないのです。イエス・キリストの十字架しかないのです。赦せない人を無条件に赦し、回復し、待ち、信じ、愛するイエスの愛しか私を変えれないのです。私は神様の愛なしには、不可能な男なのです。主イエス・キリストの愛を信じます。私を変える主イエスの約束を信じます。

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火曜日, 7月 27, 2010

キリストの生き方をまねよ

ヘブル人への手紙12;1-8
私たちの信仰のモデルは信仰の先輩たちが雲のように囲んでいます。しかし、それでけでなくて何よりも私たちの信仰のモデルはイエス・キリストです。そのまねることは、自己否定です。自分が低くなる、謙遜な、奉仕をすることです。難しい人に失礼なことをしないこと、あくまで愛と恵みの態度をもって相手に接することです。辱めをものともせずに、生きたイエスに、つかれずに、元気を牛縄買ったイエスの態度をまねていきます。今日は、まさにその実践の場に神様の出会いがありました。主イエスのみなを賛美します。わたしを訓練される主イエスのみなを賛美します。

月曜日, 7月 26, 2010

今日、私が殉教すべきことは何か?

ヘブル人への手紙11;32-40
信仰により、勇士となった人がいます。また、この世の中で殉教者となった人がいます。それは、この世が彼らにふさわしい環境でなくて、また彼らの価値観や人生の生き方に合わなかったのです。しかし、その祝福は、この世で終わること無くて永遠のものを下さったのです。わたしの殉教すべき環境や人材は誰かと考えました。わたしの愛せない無い人、わたしに良くしてくれない人、難しい環境の人、挨拶したくない、避けたい人に、愛を持って赦していきます。

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日曜日, 7月 25, 2010

信仰を持つと人生の計算機が変わる

ヘブル人への手紙11;17-31
信仰を持つと価値観が変わります、苦難を受けても主の栄光を求めます。主を愛して苦難を受けます。主イエスを信じるゆえに、その基準を持って正義に生きることを願います、罪を犯すくらいなら、厳しい生活を受けます。それは、価値観の変化です。人生の計算機と会いません。自分さえよければともっている計算機から割り出せないことなのです。それでは計算機で着ない天国での祝福が、あります。栄光を天国では受けきれない大きな祝福があります。わたしたちの未来への価値観が変わり、することが変わり、自分の人生の目的が変わっていきます。そこに、大きな神様の祝福があります。明日への私の行動を信仰を持って、希望を下さる主イエス・キリストを賛美します。

土曜日, 7月 24, 2010

天幕を張る人生が相続をする人生だ!

ヘブル人への手紙11;8-16アブラハムは、神様の約束を受けて自分の故郷を離れて神様だけに頼って「行くべきところを知らず」に出て行きました。それは、人間的に頼れるところや、慣れ親しんだところから離れていくことを意味していました。罪から離れて生きることを、神様だけに頼るしかない方法を意味しました。そして、アブラハムは約束の地へ行って「天幕生活」をしました。地上では旅人であり、寄留者であることを意味しました。そこに価値観が違うことを意味しました。永遠の天国に一番の価値をおく地上での人生、そして天国での約束を待つ人生を意味しました。逆に言うと、地上で素晴らしいと思える生活を人々から言われたとしても、大したことの無い人生であるといえるのです。ここまで言うと、地上の人生を否定しているように思えるかもしれませんが、そうでなくてアブラハムとサラが神様の約束を受けて、神様の価値観を持って不可能と思えるイサクを生むことを見て、神様とつながった人生を歩みながら、地上での使命を祝福を得て歩むことが出来るのです。今日の環境を感謝します。何よりも固い基礎の上に土台を置いた、主イエス・キリストの十字架に基礎をおいて約束の地を、相続を、都を、子供を得ていきます。アーメン

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金曜日, 7月 23, 2010

義を相続するものは神様の子供だけだ!

ヘブル人への手紙11;1-7

神様に近づくものは、自分がつみある存在であること、を認めないといけません。そして、その罪の解決がイエス・キリストの十字架でしか解決できないこと、主イエスを求めるしかないことを認め、信じないといけません。神様に近づくのは、主イエスしかありません。聖霊によらないと神様を信じることも義を相続させ、報いを与えてくださる方であることを信じないといけません。今日、主イエスのむく荷を信じて、祈り、一日を過ごしていきます。

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木曜日, 7月 22, 2010

自分がしたことがあるか

ヘブル人への手紙10;32-39
永遠の保証となる永遠の命、権利、財産は、わたしがしたものは一つもありません。ただ、神様の下さったGIFTです。それをGETするのは信仰です。真実な約束を下さった神様を信じて歩んで行く忍耐が必要なのです。苦しみの中でも、謙遜に主を仰ぎ、賛美します。何も私がしたことは恥ずかしいくらいに何もありませんが、主イエスの下さって永遠の命、十字架上で下さった永遠の命を大事に行きます。信仰により生きます。

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水曜日, 7月 21, 2010

いつも大胆で入れる理由

ヘブル人への手紙10;19-31

罪があるときに、心に隠し事があるときに、自信をなくします。人を恐れます。また、愛されていないと感じるときに、人は心配があります。しかし、命を掛けた愛があるときに、それがわたしのためであることを覚えるときに、大胆に出て行けます。それが、主イエスと言う神様の子である方の絶対的で、完全で、永遠のものであるときに、今から神様の永遠の愛で生きている自身が出て行きます。神様の愛で歩んでいきます。

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火曜日, 7月 20, 2010

主イエスだけで満足させる新しい契約

ヘブル人への手紙10;10-18神様の契約は、わたしの心に刻むものです。それは、文字で無くて私の人生に刻まれているものです。わたしの生き方に現れる罪からの救いです。何度も毎日繰り返される罪のいけにえでなくて、既に完全に、永遠に癒されたものです。わたしの心に刻まれた証はどのようなものでしょうか?その証がありつつも、他の方法で自分を満足させようとしているのでしょうか?主イエス以外には、人間には満足させる方法が無いのです。神様以外には、この罪の問題を解決できる方はいないのです。しかも、この罪を解決させるためには、自分の努力や自分の知恵でもなくて、自分の力に絶望して、神様に頼るしかなかったのです。主イエス以外に満足できない人生、主イエス以外に解決の無い人生を開いてくださった主イエスを賛美し、感謝して生きます。

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日曜日, 7月 18, 2010

本物を体験したら、偽者は要らない

ヘブル人への手紙10;1-9
わたしたちの主イエスを体験すると、祭司なる完全なささげものを体験すると、私たちは他のものに魅力を感じないはずです。また、昔の生活や、律法で自分の義を成就しようとする誘惑にあわないはずです。しかし、何故、私たちはその誘惑にあうのでしょうか?私は本当に主イエスの十字架に日ごとにあっているのでしょうか?主イエスへの初恋を取り戻し、私の人生をささげます。

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金曜日, 7月 16, 2010

神様から自由にされたことを覚えているか?

ヘブル人への手紙9;23-28
主イエスの祭司としての祝福は、わたしたちを完全に、既に、罪から自由にしてくださったことです。そして、主イエスが再び来られるその日を待ち望むのは、裁きを恐れて待つ人生でなくて、神様の救いを待っている人生なのです。私たちの今の人生は、恐れなくて、救いを待ち望む自由ノン人生なのです。主イエス・キリストのために聖化されていく人生です。その自由の人生を大事に、賛美しながら歩んでいきます。

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完全なる祭司を通して頼め!

ヘブル人への手紙

わたしたちの大祭司は、完全なる、永遠の、命をもたれた方です。わたしたち人間の育てた、立てた祭司は、不完全な、何度も捧げないといけないささげものをし、自分自身もささげものをしないといけません。いけにえをしないといけないのです。また、自分自身が少し世の中に入っているだけで世の中の流れに流されるのを知ります。今日、私の人生をいけにえとして、わたしを購いだしてくださって主イエスにささげます。もともと、神様のものです。あなたがわたしをお受け取りください。主イエスによってとりなしを求めます。

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木曜日, 7月 15, 2010

完全にする礼拝

ヘブル人への手紙9;1-10
主イエスの前の祭司や、幕屋は新約聖書時代に来た礼拝やささげものの影です。未だに完全にするものではありません。しかし、主イエスの捧げ者や祭司は永遠に有効で、完成されたものです。私は新しく創造された被造物です。残されたものは、地上での聖化されていく行き方です。礼拝するものの心を完全にするのは、聖霊様です。この希望と事実を持って歩んでいきます。伝えていきます。

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水曜日, 7月 14, 2010

世の中に無い新しい契約

ヘブル人への手紙8;1-13
世の中にある契約は、お互いが契約を破らないようにつくり、結ぶものです。そして、契約を破ったときには責任を負うものです。お互いに、対等な関係を結ぶためのものです。しかし、神様とわたしたちの契約は、対等でなく、神様の一方的な愛と憐れみにより、何度も破った契約を結ばせるようにさせ、心に結ばせるものです。この世に無い契約は、愛によっています。神様の下さった契約の仲で、愛の関係を持って生きたいと思います。神様は契約を通して、それは主イエス・キリストの十字架に血による契約です。私たちは、何もせず、出来ず、ただ罪を犯して抜け出す力も無いこのものに、主イエス・キリストの十字架により解放してくださったのです。主イエスによって解放してくださったポジションで生きます。

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火曜日, 7月 13, 2010

イエス様だけで満足だ

ヘブル人への手紙7;23-28
キリストの十字架以外にわたしの罪を赦す方はいません。キリストの十字架以外にわたしの心を満たす愛はありません。しかし、私たちは、時々自分の行いや奉仕、人の評価や、他の律法を作って自分を満足させようとします。それは、キリスト以外に他のことが出来るという態度です。自分の力で何とかできるという自分の弱さを認めない態度です。自分の弱さを認めるときに神様の強さが来ます。自分では満たしきれない、世の中では満たしきれないものに、神様の愛が注がれます。主イエスだけで満足する一日を歩みます。

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月曜日, 7月 12, 2010

人の力では出来ない

ヘブル人への手紙7;11-22
罪の代わりの大祭司は、人間の祭司では完成することが出来ませんでした。そのために、神様の最終兵器であるイエス・キリストが地上に送られたのです。人間には出来ない、永遠の命の力をもたれれるイエス・キリストがなされました。人間の力では出来ない、奇跡が私の人生になされたのです。その奇跡なるイエスの愛を伝える日曜日を過ごします。

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土曜日, 7月 10, 2010

神様の下さる約束を握り締めよ!

ヘブル人への手紙6;13-20
人間は、眼に見える現実に縛られやすいものです。しかし、霊に見える世界は、神様のいる世界は、時間も空間も制限されない主イエスキリストの十字架です。神様の下さる希望を、約束もって握り締めます。それは、人間のあらゆる反論を止めさせます。人のつまらない理論や、人間的な宗教学者に縛られること無く、神様のあなたを幸福にする約束を信じて、歩みます。

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金曜日, 7月 09, 2010

大人になるために日々成長しているのか?

ヘブル人への手紙5;11-6;12
神様にある信仰は、日ごとに成長する信仰です。日々、神様の救いを確信して進むものです。義の教え、死んだ行いからの改心、神様に対する信仰、きよめの教え、を学んで、それが過去のことになるのでなくて、日ごとに新たな確信になって行きます。日ごとに、恵みの意識(自分がイエス・キリストの十字架何しでは救われない人である告白、罪の悲しみのために、アダムから来た原罪を自分が持ってそのように生きている痛みから解放されるイエスの十字架)を感謝し、賛美していきます。それは、自分へ周りの人への姿勢を変えます。愛を持って進めます。それは、神様の愛からいただいた十字架によって救われた恵みだからです。そのイエス・キリストに救われた人生を生きているからです。霊的な感覚をもつ、成長し続ける、周りの人々へ祝福と愛を送る大人のクリスチャンになって行きます。

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木曜日, 7月 08, 2010

イエスの従順はわたしへ従順をもたらす

ヘブル人への手紙5;1-10
イエスの苦しみは、自分のためでなくて罪人であるわたしのためです。イエスの従順は、自分の利益でなくて、神様とわたしのための愛からのものです。同じ大祭司でも、
人は①自分の弱さのためにいけにえが必要である②完全でなくて、変わる人である神様の大祭司は、①自分に弱さは無くても、全ての面で同じように試みにあわれて、苦しみをご存知だ。しかし、勝利する方法をご存知である②完全ないけにえを一度だけささげられた
共通することは①神様から任命された栄光である②神様と人の間をとりなす
苦しみの中でも、従順に従い、死の時に、イエスに向かって叫びました。はたして、わたしは神様に向かって叫んでいるでしょうか?死の苦しみにあっても、自分を救うことの出来る方に頼っているのでしょうか?その方に頼るものこそ、神様からの救いと働きを受けます。また、人のとりなしが出来ます。人間には、人のとりなしをする限界があります。扱うのに難しい人もいます。そのようなときに、自分の力でなくて、主の前に叫ぶ一日を送ります。

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水曜日, 7月 07, 2010

神様の義と愛の両方をもつ人

ヘブル人への手紙4;12-16
人間には、バランスを保つことが難しい部分があります。それは、人間自身が限界のある存在であり、罪ある弱い存在であることです。しかし、わたしの大祭司なるイエス・キリストは人間がもつには難しい部分があります。それは、神様の義を持ちながらも、神様の愛を持っておられる方であることです。全能の神様は私のことをすべてご存知です。そのことは、罪あるときに恐れを持ってこさせます。また、それは正しい恐れでもあります。罪の無い生活を求めて、信仰によって歩む喜びがあります。しかし、それで終わらないことが主イエスご自身が全ての面に於いてわたしと同じように試みにあわれたことがあり、罪を犯されなかったけれど、わたしの弱さに同情できない方でない、ということです。そして、勝利する人生を導かれる方なのです。人間の祭司であるモーセやアロンには、限界が在りました。しかし、主イエスは完全なささげものをされました。その主イエスに頼って、今日一日歩んで生きます。

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火曜日, 7月 06, 2010

まことの安息に入るために恐れが必要だ!

ヘブル人への手紙4;1-11神様の下さる安息に入るまで、この世に於いてわたしたちは偽りの安息に入ることが無いように、偽りの一時的な罪に逃げ込まないようにしないといけません。神様の下さる約束は、現実です。しかし、わたしたちの眼にはそれが見えないときがあります。また、何よりも見ないで歩もうとして、信仰の目で見るお方を無視することがあります。神様の安息を求めるために、

①罪を犯すことを、恐れないといけません


②神様の前に歩んでいること、神様の信仰をもって進むこを忘れずに、神様の約束を握り締めないといけません。いい意味での恐れがあります


③信仰の先輩の姿を聖書から読んで神様の安息と約束を握る続けることが出来ます。


今日、開拓教会への主の約束の言葉を信じて、現実に飲まれずに、聖書を読みながら、主への真実な約束をくれた主を信じます。


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月曜日, 7月 05, 2010

ビジョンを握り続けよ!

ヘブル人への手紙3;7-19
人間にとって誤った「かたくなさ」と人間とって握る続ける確信があります。似ているものですが、全く違うものです。私たちはどちらかと言うと、「人間的なかたくなさ」には縛られやすく、周りさえも縛るものですが、信仰を持って、それは自分の経験でなくて、知恵でもなくて、人間の生み出した信念でもなくて、神様の下さったプレゼントである信仰であり、事実なのです。しかし、人間は「かたくなさ」つまり自分の感情に、自分に頼りがちです。FEELINGに頼りがちなのです。しかし、信仰はFEELINGに左右されず、神様の真理であり、事実なのです。今日、神様の下さったミ言葉を宣言します。今日の礼拝が神様の御言葉が宣言され、開拓教会の現状や現実に支配されない、人間の感情に支配されない、主からいただいたミ言葉とビジョンに頼る、宣言し、信じる時になることを祈ります。ハレルヤ!

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日曜日, 7月 04, 2010

誰がわたしの大祭司か?考えよ!

ヘブル人への手紙3;1-6
大祭司なる主イエスと、この地上で最も謙遜であったモーセが主のしもべでした。しかし、一番大きな違いは、神様ご自身がわたしの大祭司であることと、いかに地上で偉大なリーダーも神様にご自身にはかないません、その方がわたしを平安の家として、教会として完成させてくださいます。明日の礼拝のために、完成を目指して奉仕をしていきます。仕えます。

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土曜日, 7月 03, 2010

罪に打ち勝つ力はわたしを兄弟と呼ぶイエス

ヘブル人への手紙2;11-18
イエスの救いは、わたしを罪から解放し、自由にしてくれた喜びにあります。救いの喜びは、罪を赦されて、すでに赦された、解放された喜び、罪の自責観念から自由にされたことにあります。もはや、自分を責める必要も無く、自分を判断し、自分で自分を裁く必要も無いのです。それは、義としてくださったイエスの十字架をもう一度、攻めるものなのです。しかも、主イエスは、悪魔を滅ぼし、罪を滅ぼし、わたしを解放してださったのです。私は主イエスの勝利の中で生きるのです。そして、失敗し、過ちの犯しがちなわたしを兄弟と、家族と呼んでくれます。決して、わたしを差別されないし、家族は決してわたしを見捨てません。神様の愛の仲で、罪に打ち勝ちます。主イエスがわたしを兄弟と呼んでくださったように、その力で行きます。その愛を神様の家族の愛を、まだ神様の華族の愛を知らない人に伝えます。

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金曜日, 7月 02, 2010

理由の無い従順を探すなら、それは愛からだ!

ヘブル人への手紙2;1-10
神様が万物の存在の目的であり、理由である方なのに、十字架にかかる理由は何でしょうか?栄光を捨てて低くなり、卑しめられて、死に従った理由は何でしょうか?はたして、わたしにイエスが十字架にかかって、死ぬまで、栄光を捨てるだけの理由があったのでしょうか?何かイエスによいことをしたり、価値のある存在だったのでしょうか?イエス・キリストを信じても、神様の前に従順な180度変わった人生を生きつづけているのでしょうか?正直に。自分が一番分かっているはずでないでしょうか?イエスは何故、従順されたのでしょうか?何か探すべき理由があったのでしょうか?何か論理的にあっている話なのでしょうか?それは、ただ無条件の愛だからです。はたして、その愛に私は無条件に従い、生きているのでしょうか?今日、主に会って神様に、人間関係に従順していきます。神様の愛でわたしを作り変えてください。アーメン。

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木曜日, 7月 01, 2010

尊い人生を生きるためには、尊いみなを叫べ!

ヘブル人の手紙1:6-14
私の人生は、高価で尊い人生です。しかし、罪に汚された人生はさまざまな錯覚を生みます。それは、自分自身への価値の無さであり、自分自身の人生であるから勝手にしていい、それが自由であるという謀略です。罪はわたしを無価値である、というメッセージを与えます。しかし、神様の下さった愛は、神様の創られた私はそうでありません。高価な存在です。それを罪によって、用いることが出来ない存在に、そして神様の愛が響かない無感覚な心にしてしまったのです。罪の腐敗によってわたしを破壊されてしまったのです。しかし、そんなわたしを神様は預言者を通して回復と悔い改めのメッセージを下さり、最後の救出作戦として主イエス・キリストを地上に送ってくださり、罪を打ち破り、わたしを神様のことしてくださったのです。しかも、それで終わらず、義を与え、喜びの油を溢れるほどに注いでくださったのです。神様の子とされたのに、毎日その声を聞かずにどうして生きることが出来るでしょうか?神様の尊い方お一人であったのに、その神様が尊いとわたしを呼んでくださる声、神様の導きを聞かずに入れるでしょうか?それでは、そんな人生です。神様の救いを完成させる人生を歩んで生きます。

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