坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 7月 24, 2010

天幕を張る人生が相続をする人生だ!

ヘブル人への手紙11;8-16アブラハムは、神様の約束を受けて自分の故郷を離れて神様だけに頼って「行くべきところを知らず」に出て行きました。それは、人間的に頼れるところや、慣れ親しんだところから離れていくことを意味していました。罪から離れて生きることを、神様だけに頼るしかない方法を意味しました。そして、アブラハムは約束の地へ行って「天幕生活」をしました。地上では旅人であり、寄留者であることを意味しました。そこに価値観が違うことを意味しました。永遠の天国に一番の価値をおく地上での人生、そして天国での約束を待つ人生を意味しました。逆に言うと、地上で素晴らしいと思える生活を人々から言われたとしても、大したことの無い人生であるといえるのです。ここまで言うと、地上の人生を否定しているように思えるかもしれませんが、そうでなくてアブラハムとサラが神様の約束を受けて、神様の価値観を持って不可能と思えるイサクを生むことを見て、神様とつながった人生を歩みながら、地上での使命を祝福を得て歩むことが出来るのです。今日の環境を感謝します。何よりも固い基礎の上に土台を置いた、主イエス・キリストの十字架に基礎をおいて約束の地を、相続を、都を、子供を得ていきます。アーメン

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