イエスの従順はわたしへ従順をもたらす
ヘブル人への手紙5;1-10
イエスの苦しみは、自分のためでなくて罪人であるわたしのためです。イエスの従順は、自分の利益でなくて、神様とわたしのための愛からのものです。同じ大祭司でも、
人は①自分の弱さのためにいけにえが必要である②完全でなくて、変わる人である神様の大祭司は、①自分に弱さは無くても、全ての面で同じように試みにあわれて、苦しみをご存知だ。しかし、勝利する方法をご存知である②完全ないけにえを一度だけささげられた
共通することは①神様から任命された栄光である②神様と人の間をとりなす
苦しみの中でも、従順に従い、死の時に、イエスに向かって叫びました。はたして、わたしは神様に向かって叫んでいるでしょうか?死の苦しみにあっても、自分を救うことの出来る方に頼っているのでしょうか?その方に頼るものこそ、神様からの救いと働きを受けます。また、人のとりなしが出来ます。人間には、人のとりなしをする限界があります。扱うのに難しい人もいます。そのようなときに、自分の力でなくて、主の前に叫ぶ一日を送ります。
ラベル: ヘブル人への手紙
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