坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

木曜日, 7月 01, 2010

尊い人生を生きるためには、尊いみなを叫べ!

ヘブル人の手紙1:6-14
私の人生は、高価で尊い人生です。しかし、罪に汚された人生はさまざまな錯覚を生みます。それは、自分自身への価値の無さであり、自分自身の人生であるから勝手にしていい、それが自由であるという謀略です。罪はわたしを無価値である、というメッセージを与えます。しかし、神様の下さった愛は、神様の創られた私はそうでありません。高価な存在です。それを罪によって、用いることが出来ない存在に、そして神様の愛が響かない無感覚な心にしてしまったのです。罪の腐敗によってわたしを破壊されてしまったのです。しかし、そんなわたしを神様は預言者を通して回復と悔い改めのメッセージを下さり、最後の救出作戦として主イエス・キリストを地上に送ってくださり、罪を打ち破り、わたしを神様のことしてくださったのです。しかも、それで終わらず、義を与え、喜びの油を溢れるほどに注いでくださったのです。神様の子とされたのに、毎日その声を聞かずにどうして生きることが出来るでしょうか?神様の尊い方お一人であったのに、その神様が尊いとわたしを呼んでくださる声、神様の導きを聞かずに入れるでしょうか?それでは、そんな人生です。神様の救いを完成させる人生を歩んで生きます。

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