坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 1月 02, 2010

天国の門が開かれるのを見たいか!

ヨハネの福音書1;43-51
今年のテーマは、弟子として「共に生きる」です。そこへ、さらに「来て、見なさい」という招待へ応える従順です。ピリポは主イエスの召しに応えて、「預言者とモーセの律法に書かれた(旧約聖書の成就)メシアなる主イエス・キリスト」をナタナエルに紹介しました。ところが、ナタナエルはすぐには主イエスの召しに自分偏見のために応えることができませんでした。私たちは、自分たちの偏見をすぐに乗り越えれるほど、柔軟な心をしては居ません。そんなナタナエルに、主イエスは「あなたはいちじきの木のしたで御言葉を黙想していた」と言われます。そこで、ナタナエルは主イエスを神のこと信じるのですが、「一生懸命に御言葉を黙想しながらも、神様の子である主イエスが分からない」とは何と残念なことでしょうか?御言葉を黙想しながらも、霊的な判断や反応力が無かったのです。神様への知識が会っても、大事なのは「霊的な瞬発力」であり、従順なのです。それでも、主イエスはあなたはもっと、さらに大きなこと、「天が開けて、神のみ使いたちが、人のこの上を上ったり、下がったりするのを見る」と言われました。今回の弟子のテーマは従順です。それは、未来について見えることや聞いてことでする従順でなくて、まず主イエスご自身について「来て、見ること」から始まりました。主イエスを来て、見ていきます。主イエスを見る従順を得ていきます。

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