坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 12月 26, 2009

神様がおられてこそ光がある


イザヤ60;1ー4,61:1-3
「起きよ、光を放て」というQTから新年は始まります。それが、クリスチャンとしてのあるべき姿であり、神様からの使命を受けた人生であり、最高に自分らしく輝く人生だからです。しかし、そのためには自分の努力や力や知恵や経験でなくて、神様の光に導かれた人生を歩むときにこそ、輝く人生を歩むことが出来ます。神様の光があってこその栄光です。そこには、罪や汚いものがあっては穢れが照らし出されます。人間は、真理の前に出てくるのを恐れます。それは、罪の自己防衛です。しかし、イエス・キリストの十字架の愛がある時に、ゆるしを確信して出て行けます。そこには、囚われ人には解放を、傷ついたものには癒しを与えるヨベルの年が来ます。来年を主イエス・キリストを伝えることを通して、JUBLIEEの癒しと解放を伝え、主イエスの栄光の年になることを祈ります。GOD BLESS AMERICA AND JAPAN