弟子とは共に生きる人
ヨハネの福音書1;29-42
イエスを見たバプテスマのヨハネは「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」と言います。彼は、主イエス・キリストと面識があったり、既に顔を見たことがあるなどの面識が会ったり、神様の幻を見せられたのでなくて、「聖霊がイエスの上にとどまる」のを見て「神の子羊」であると宣言したのです。
私は、1:見よ、と主イエス・キリストを他の人に宣言し、伝道しているのでしょうか?
2:また、神様を知りながらもさまよっているクリスチャンにも「主イエス」を示しているでしょうか?
3:主イエスは聖霊のバプテスマを受けて、他の人にも授けていました。私たちは受けた聖霊様と共に生きているのでしょうか?それは、御言葉をどれほど聴くのかによって、どれほど従うのかによって判断することが出来ます。
2人の弟子たちは、バプテスマのヨハネが「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」というのをきいて、主イエスのところに行きました。「どこにお泊りですか?」と。彼らはガリラヤ地方の漁師でした。ところが、バプテスマのヨハネ活動は「ヨルダン川、エリコなど」でした。ということは、彼らは自分の生活をおいて、捨てて、ヨハネと共に生活する弟子だったのです。聖霊様との生活は、共に生活することです。主イエスの弟子とは、共に生活して、「言葉」を聞きます。人格から影響を受けます。
この新しい年、神様の新しいことに生活を共にしていきます。ハレルヤ!アーメン
ラベル: ヨハネの福音書
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