坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

木曜日, 11月 05, 2009

主に仕えることと諸国に仕えること、どちらを選ぶのか?

第二歴代誌12:1-8
レアハブアムはわずか3年の後に、南ユダ王国が栄えて、国が強固になったのを見て、自分の力をもってなったと考え、高慢になり、祝福の基である神様を捨てて、神様の国の民として、クリスチャンとして生きるべき「主の律法」を捨ててしまいました。そのために、エジプトの国に首都であるエルサレムが、主の都が攻められることになりました。それは、神様の民であるイスラエルに、レハブアムに「主の仕えることか、諸外国に仕えるのか(偶像に仕える、この世に仕える)」を選ばせるためでした。それは、何と言う愛なのでしょうか?自らの主の都が攻められることを通しての、神様の愛です。諸外国に仕えるなら、決して「ゆるし」や「回復」などというチャンスはありません。自らを犠牲にしてまでの、回復へのメッセージは無く、そのような愛はありません。諸外国に仕えるよりも、愛の関係を持った私をまことに幸福にし、愛してくださる神様に仕えるほうが遥かにいいのに、人は高慢に自分を勘違いしてしまいます。主イエスに仕えたい、何よりも、主イエスを愛する関係を持って生きていきます。