坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 11月 03, 2009

従えない理由は神を知らず、自分を知らないからだ

第二歴代誌11:1-12
レハブアムは失ったイスラエルの王座を取り戻すために、軍隊を集めます。神様を離れた人は「権力」に頼ります。神様の国でなくて、自分の王国を作ろうとします。それはしても無駄なことです。私の人生の主人は、神様であることを忘れて歩むことの悲惨さがあります。今日は未だ感謝な事は、それでも神様はレハブアムを哀れみ、主の言葉を語ってくださり、そして戻ることが出来たのです。
レハブアムには、神様の声に従うことが出来ました。最初から聞けたらどれほど幸いなことでしょうか?しかし、最初には神様は知恵を持って選ぶように語られたのです。レハブアムの人格を尊重し、自らたずねもとめるように、まっていてくださったのです。人々の助言を求めた彼は、最終的には神様の知恵を求めるべきが、自分の決断をしてしまったのです。ここまでなくても、
誰でも、自分の夢や願いが閉ざされるときは、苦しいときがあります。しかし、従うときに祝福があり、幸福があります。霊的な法則があります。
①最初に人々に助言を求めることは間違いでありません。
②しかし、決断するときには神様に求め、応えに従う決心をしないといけません。神様の御心を求めて従う決心が出来ていないことが何と多いことでしょうか?
③神様に従わないときに、最終的に神様はそれ以上行くな!という警告をくださいます。
④しかし、それでも従わない時に無理やりされたりしません。
神様の前に、御心を聞いたときに「従えない」のは何故でしょうか?それは、自分が神様より賢く、えらいとしているからです。本当に神様に偉大さを見たときに「従える」のは、神様の素晴らしさを体験しているからです。私は何と高慢なのかと思いました。偉大な神様に悔い改め、従います。