坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 11月 02, 2009

謙遜な姿勢が祝福の決断をさせる

第二歴代誌10;12-19
神様は、ソロモンの後半の人生の偶像礼拝、背信のために、イスラエル王国を分けることを決められていました。しかし、それにしても今日のレハベアムの決断は大きな痛みを追うものとなりました。それは、若者たちの助言に従い、長老たちの助言を退けて、苦しみ疲れているイスラエルの民に対して、「厳しい態度と空元気と見栄だけの脅迫で迫った」のです。はたして、そこに神様のリーダーシップはあったのでしょうか?レハベアムは神様の前に祈り、若い頃のソロモンのように知恵を求めたのでしょうか?聖書には、その姿勢は書かれていません。神様のリーダーが間違うときに、悲惨なのは民たちです。彼らは、おのおのの天幕に帰ったとあります。まるで志師記のようです。おのおのが正しいと思うことを行ったとあるようです。イスラエルの民たちは自分たちが王様を求めた結果、自分たちを支配するおうさまが出現し、それを排除するという結果をもたらしたのです。それにしても、レハベアムが神様を求める姿勢がもしもあれば、と思います。彼は逆に、イスラエルの民に拒絶されてからも、役務長官を遣わしてかえって怒りを買ったり、反対のことをしています。神様のリーダーシップは人を支配するのでなくて、神様の夢を解き放つドリームリリーサーなのです。人々への神様の夢を解き放つ人なのです。ドリームリリーサーになるためには、自分が王様であっても神様の国を立てる、主人は、王様は神様である必要があります。謙遜中身様の声を聞く姿勢が祝福の決断を自分にも、レハベアムにも、イスラエル全体にも出来たはずです。謙遜な姿勢を持って仕えていきます。