坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 10月 28, 2009

神様の民として生きる2つの質問

第二歴代誌8;1-11
ソロモンが、主の宮と自分の宮殿を20年かけて立ててから、次の事業に取り掛かったことが記録されています。倉を立て、戦ったり、建築をしたり、防御の町を建てたりします。6節「ソロモンは自分の建てたいと願うことを全てした」とあります。なかなか自分の建てたい、と願うことが全部できる人はいないでしょう。世の中でなかなかこういうことは羨ましいかぎりでないでしょうか。ここで見つけれることがあります。①物事の優先順位や順序があるということです。それは、神様のこと(特に礼拝する)を一番先にしているのか?次にしていることが家のことであり、それから建設をしました。
私の優先順位は神様を一番先にしていますか?ということです。
→一番最初に神様と出会うQTをしていきます。そのための一日のスケジュール作りをしていきます。
二番目の問いかけは、②あなたの判断基準は何ですか?です。それは、イスラエルの王となったソロモンは、ヨシュア時代から聖絶できなかったカナンの先住民たちを苦役に徴用したとあります。それは、能力的なことや力を見ると彼らにあわないことだったかもしれません。また、神様の民であるイスラエルには決してそのようなことをせずに、「彼らは戦士だった」というのです。それは、神様の民であるイスラエルのアイデンティは「奴隷として苦役」させれない、というメッセージです。カナンの民よりも下手したら、戦闘能力も劣る人たちもいたかもしれません。しかし、神様の民であるイスラエルには、すべき仕事、人生の生き方、アイデンティが違いました。ですから、ソロモンは扱いを変えて、しかもソロモンの判断基準、考えに違いがはっきりと会ったのです。
②私の判断基準はナンでしょうか?能力で選ばれたのでなくて、イエス・キリストの十字架で選ばれたものとしてふさわしき生きているでしょうか?また、クリスチャンとして考えを持って判断基準を持っているのでしょうか?私の現在を、未来を神様の民として判断していきます。