坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 8月 12, 2009

人人の悪さえも、神様の最高の計画をなすと信じているか?

使徒行伝25:6-12
人の悪さえも、神様の最高の計画をなすと信じているか?
今日の裁判官は、フェストという人です。彼もまたユダヤ人の歓心を買おうとするリーダーです。そのために、重い罪状を持って訴えられてもパウロが何ひとつ証拠立てられないのに、パウロを正しく裁くこともせず、しようともせずに、「カイザルに上訴する」ということにしてしまいます。何という情けなく、不当な話でしょうか。しかし、世の中にはこのような話はたくさんころがっているかもしれません。そのような中でパウロは抗議して戦ったのでしょうか。いえ、それはかえってキリストの心をなすこととなりました。悪さえも、不当なことさえも神様のみ手にあります。つい先日、小学校2年生の女の子から素晴らしい言葉を聞きました。それは、「神様って大きいんだよ、JESUSの手の中にSPACEはあるんだよ」という話でした。私の人生は、すべての状況は、不当なことは神様の手の中にあるって信じているでしょうか。知っているでしょうか。それを通して働かれる神様のみ手を信じて歩んでいるでしょうか。パウロはこの不当な裁判官の心によってローマへ証しし、宣教の働きにつくことになりました。このように神様のみ心になる御手にある人生に期待して今日を歩みます。礼拝の上に神様の手があることを信じます。