坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 7月 25, 2009

危険が迫っても基礎となる愛と真理

使徒行伝21:27-40
今日の聖書箇所は、パウロが誓願する人々の費用を出し、共に宮へ行く中での誤解と濡れ衣との中で、暴動と命の危険に迫られるということがあります。さらに大変な内容です。QTをしながらも、緊張していくような内容です。ユダヤ人たちのねたみ、そして異邦人を排斥する思い、律法の厳格さを感じながらも、ローマの兵隊が来るまで力があった彼らが、ローマの兵隊が来るとたちまち静まってしまう、権力への弱さを感じます。しかし、それに対してパウロの一貫した変わらない態度、そして落ち着いた姿勢、その自信は何処から来るのか?と思いました。それは、主イエス・キリストの十字架を伝えるものの使命、そこに忠実に歩んできた姿勢、何よりもキリストの福音をいつでも証し、その愛を基礎にした人生でないか、と思いました。意外かもしれませんが、愛は弱いものでも、流されるものでもなく、強いものです。キリストの愛は命がけのもです。私はそのようなキリストの命がけの愛に歩んでいるのか?と思いました。弱弱しい、自分の愛で終わっていないか?と思いました。キリストの愛は話すことを話し、そして何よりも、どんな人にも、どんな時にも、主イエスの愛を信じてもらうことを願います。主イエスの愛を持って勇気を持って歩みます。