坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 7月 29, 2009

雑音でなく、主イエスのストレートなハートを聞け

使徒行伝 23:12-24
私たちは、QTをするときに、すでに自分の思いや考え、もしくは心の傷、いたみがあることがあります。それらは悪いものでありません。しかし、それがすでに思い込みを持って聖書を読むことがあります。決して悪いものでなく、神様は私たちのその心に、状況に語りかけ、癒し、状況へ、現実へ働いてくださいます。しかし、それがかえって聖書からの中心的なメッセージを聞けなくしたり、神様の御心の中心部分を失うことがあります。中心的なメッセージを聞かずに、枝葉を聞いてしまうことがあります。私の心を空っぽにする必要があります。この世から受けた傷は、いつも懐疑的にさせ、同じ傷を持っていることから聖書を読むときも同じようなメッセージを受け取ることになります。違う聖書箇所なのに、いつも自分の心の傷を抱えている人は同じ話を受けます。私もそういうことがあります。しかし、それでは神様のダイナミックなメッセージや計画や、私への声を聞き損ねます。一部しか聞こえないのです。今日は、神様の偉大な守りを体験することでした。状況は悪くとも、必ず神様の計画はなされるように、若者を通して、時にローマ帝国という神様の権威を否定するようなこの世の組織を通しても、守ってくださいます。私の人生を導き守られる神様の旅路を歩むことを信じます。