神様の使命に生きる人だけがまことの権威を用いる
使徒行伝22:17-30
使徒パウロが神様の出会い、そして異邦人宣教への召し、それは神様からのこーリング
①キリキヤでタルソ生まれで、ガマリエルの弟子であり、ディアスポラユダヤ人であるパウロ、ギリシャ語が流暢に仕える人を世界宣教へとエルサレムで幻を通して召された
②ユダヤ人の拒否という状況を通して、神様の召しを確認した。
という話をしたところで、ユダヤ人たちは怒り、彼を殺そうとします。自分の聴きたくない話をされる時に、まことの権威の下にいない人は暴力を用います。そして、自分の思うとおりにしようとします。しかし、神様と言う正しい権威の下にひれ伏す人は違います。神様の使命に生きる人は、まことの人生とまことの権威を用いることができます。なぜなら、一番恐れるべき人を恐れているからです。一番私を幸福に導かれる命かけた主イエスの愛を知っているからです。パウロは自分がローマ市民であることを話し、裁判にかけないで鞭打とうとした相手へ正しい主張をします。権威とは、世の中の人が恐れるものです。また、嫌がるものです。しかし、まことの権威は真理であり、人を不幸にするものでなくて、正しい最高の道へ導きます。下手な社会への恐れがありません。権威へへつらうことがありません。自信があります。それは全能の神様の愛に愛されている、自信です。それが、神様の愛です。まことの権威の下に歩んでいきます。
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