坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 11月 12, 2008

この世に生きながらも純粋なパン

Ⅰコリント5章1-13
あなたがたの 間に 不品行があるということが 言われています. しかもそれは, 異邦人の 中にもないほどの 不品行で, 父の 妻を 妻にしている 者がいるとのことです.
それなのに, あなたがたは 誇り 高ぶっています. そればかりか, そのような 行ないをしている 者をあなたがたの 中から 取り 除こうとして 悲しむこともなかったのです.
私のほうでは, からだはそこにいなくても 心はそこにおり, 現にそこにいるのと 同じように, そのような 行ないをした 者を 主 イエス の 御名によってすでにさばきました. あなたがたが 集まったときに, 私も,
においてともにおり, 私たちの 主 イエス の 權能をもって, あなたがたの 高慢は, よくないことです. あなたがたは, ほんのわずかのパン種が,粉のかたまり全體をふくらませることを 知らないのですか. 新しい粉のかたまりのままでいるために,古いパン種を取り除きなさい. あなたがたはパン種のないものだからです. 私たちの過越の小羊キリストが, すでにほふられたからです.
ですから,私たちは, 古いパン種を用いたり,惡意と不正のパン種を 用いたりしないで, パン 種のはいらない,純粹で眞實なパンで,祭りをしようではありませんか.
私は 前にあなたがたに 送った 手紙で, 不品行な 者たちと 交際しないようにと 書きました.
それは, 世の中の不品行な者, ·欲な者,略奪する者, 偶像を禮拜する者と全然交際しないようにという 意味ではありません. もしそうだとしたら,この世界から出て行かなければならないでしょう.

コリント教会に置いて、 性的な純潔は深刻な問題であると感じられていませんでした。使徒パウロはこれに厳しく語り、裁いています。他のことには愛を持っているパウロが厳しく裁いたのです。これは、現在のわたしたちには非常に心迫る話で無いでしょうか。また、自分はこれくらいたいしたことが無いと思うようなことさえも、神様は嫌われます。また、共同体への大きな影響となってしまいます。

この世の中にいると、性的な、霊的な聖さをもつことは難しいと思われます。また、それくらいしょうがいないと思います、他のあの人よりはわたしはましだ、もしくは他の人をスケープゴートにすることで納得してしまいます。しかし、聖書は言います。あなたのパン種から汚れたものを除け!と。これは、すごく厳しく怖いように感じます。しかし、それは神様の愛のメッセージなのです。そのままでは、あなたは駄目になってしまうよ、というメッセージなのです。腐ってしまうと。これを言ってくれないほうが愛がないのであります。

わたしたちにこの世にいながら、純粋で真実なパンである過ぎ越しのイエス・キリストになれと言われるのです。世の中にいながらも、影響を受けるのでなく、聖い影響力を与える人になりなさいといわれるのです。留学生のミニストリーをしていると普段牧師職をしていると体験しない場所に遭遇することがあります。留学生の誕生日会に行ったら、当然のようにみなはお酒を飲んでいました。わたしは牧師ですので、はっきり言いますからお酒を飲むことはありません。しかし、本当に久しぶりにこういう場所に遭遇したなあと思うと『何か自分が現役で無いような気がして笑えて来ました』そういう場所でも聖いクリスチャンとしての勝利を伝える人にならせてください。性的にきよめてください、という祈りをしました、感染力の強いクリスチャンになっていきます。