坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 11月 08, 2008

神様による相続地

民数記36:1-5
ヨセフ 族の 一つ, マナセの子 マキルの子ギルアデの氏族に屬する諸家族のかしらたちが進み出てモ ― セとイスラエル人の諸家族のかしらである家長たちに訴えて,
言った.「主は,あの土地をくじによって イスラエル人に相續地として 與えるように, あなたに命じられました. そしてまた,私たちの 親類 ツェロフハデ の 相續地を, 彼の 娘たちに 與えるように, あなたは 主に 命じられています. もし 彼女たちが, イスラエル 人の 他の 部族の 息子たちにとついだなら, 彼女たちの 相續地は, 私たちの 父祖の 相續地から 差し 引かれて, 彼女たちがとつぐ 部族の 相續地に 加えられましょう. こうして 私たちの 相續の 地所は 減ることになります.
イスラエル 人のヨベルの年になれば, 彼女たちの 相續地は, 彼女たちのとつぐ 部族の 相續地に 加えられ,彼女たちの相續地は,私たちの父祖の部族の相續地から差し引かれることになります.」そこでモ ― セ は,主の命により,イスラエル人に命じて言った「ヨセフ部族の訴えはもっともである.イスラエルの民であるマナセ部族は、自分たちの相続地が減ることに敏感でした。そして、その訴えはモーセに聞かれ、主の命令によって相続地が守られるようになりました。このように、マナセ部族は自分たちの相続地、名前がなくなることに敏感でした。現実的にしっかり生きている気がします。
それでは、わたしはどうかと思いました。相続する地を大事にしようとしているでしょうか。
神様の下さった地上での人生は、天国での永遠の人生へと続きます。わたしたちは地上での財産も取っている所有、立場に少しでも良くしようとします。しかし、永遠の相続に向かった思いでそのように求めるでしょうか。それとも、地上での生活がわたしにとってすべてでしょうか。
食べることや飲むことは悪いことでありません。また、相続地を得ることは、自分の所有をえることは悪いことではありません。しかし、神様を離れてそうすることに罪への誘惑が起こります。
神様にある相続地、所有を求めることと同時に、権利を主張するにせよ、永遠の相続地につながった価値観、目標を持って求めないといけません。また、何よりも永遠の相続を神様からの祝福を得る気持ちで、求めないといけません。わたしは永遠の天国につながる相続を求めて渇望しているでしょうか。それとも、地上のものだけで満足しているのでしょうか。
永遠の価値のための相続を求めてます。