あなたの存在を感謝する理由
Ⅰコリント人へ手紙1:1-5
神のみこころによって キリスト · イエスの使徒として召されたパウロと,兄弟 ソステネから,
コリントにある神の敎會へ.すなわち,私たちの主イエス · キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに,聖徒として召され,キリスト · イエスにあって聖なるものとされた方々へ.主は私たちの主であるとともに,そのすべての人々の主です. 私たちの父なる神と主イエス · キリスト から,惠みと平安があなたがたの上にありますように.私は,キリスト · イエスによってあなたがたに與えられた神の惠みのゆえに,あなたがたのことをいつも神に感謝しています.
神のみこころによって キリスト · イエスの使徒として召されたパウロと,兄弟 ソステネから,
コリントにある神の敎會へ.すなわち,私たちの主イエス · キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに,聖徒として召され,キリスト · イエスにあって聖なるものとされた方々へ.主は私たちの主であるとともに,そのすべての人々の主です. 私たちの父なる神と主イエス · キリスト から,惠みと平安があなたがたの上にありますように.私は,キリスト · イエスによってあなたがたに與えられた神の惠みのゆえに,あなたがたのことをいつも神に感謝しています.
何故、わたしたちは自分の価値を他人の価値を自分の財産の所有や学歴や自分と他人の状況によって判断したり、比較することで決めるのでしょうか。すると、自分は幸福でないし他人をも不幸にします。不平や不満の顔で周りを嫌な気分にさせます。しかし、使徒パウロは問題の多いコリント教会について、このように彼らのことを感謝します。『キリスト・イエスによってあなたがたに与えられたっ神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています』彼らが問題がありながらも、
彼がクリスチャンであるゆえに、その存在に感謝しているのです。コリント教会の人々が
①いたるところで主イエス・みなを呼び求めている(イエスの救いが必要だと自分の弱さや罪を認めている)救われる人々、可能性のある人々である
②聖徒として神様に召されたアイデンティの素晴らしさ(行いにおいて問題のある人でありながら、また罪を犯しながらも変わらない神様の救い)
③キリスト・イエスに『聖化』された義認
④主はわたしの主である
今日、弟子訓練をしながらこのような分かち合いがありました。ある人が正直に「僕はクリスチャンとして貧乏になりたくないです、神様はそのようなことなさらないでほしいです」と言いました。彼の家は難しく大変な状況にありました。そこで、もう一人の兄弟が『自分の経済状況』について貧乏であっても、借金があっても、神様が満たしてくださることを話してくれました。
最初の兄弟がこのように話してくださいました『自分を捨てることが出来たときは本当に幸福でした』考えると、わたしたちはイエス・キリストの十字架で救われたことは、私がなんだということで救われたのでない、神様の目に価値をわたしに見出してくださった救い出されたのだから、何にも言えない筈なのです。それだけで、命を救われただけで感謝なのに、あなたを愛して大事な使命を任せたい、と言われているのです。わたしたちは神様の大事な存在であり、秘密兵器なのです。
そうしたら、神様に与えられた人生(REDEEMER LIFE)を神様の期待通りに生きずにいられないのでないでしょうか。神様の価値どおりの生き方をします。
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