坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 11月 12, 2008

キリストの心を持つ人

Ⅱコリント2:6-16
しかし 私たちは, 成人の間で,知惠を語ります.この知惠は, この世の知惠でもなく,この世の過ぎ去って行く支配者たちの知惠でもありません. 私たちの語るのは, 隱された 奧義としての 神の 知惠であって, それは, 神が, 私たちの 榮光のために、世界の始まる前から, あらかじめ定められたものです.

いったい,「だれが 主のみこころを 知り, 主を 導くことができたか. 」ところが, 私たちには, キリストの心があるのです.
神様のわたしたちのために供えてくださるものは、奥義です。人間の思いかけないものであり、ありふれたものでなく、想像できないものです。それは、AMAZINGであり、WONDERFULLなものです。世界の始まる前から、あらかじめ定められた奥義としてイエス・キリストはわたしたちの罪の代わりとなってきてくださいました。それを、御霊によって悟ることが出来ました。そして何よりも大きなことは、わたしたちの中にキリストの心を持って生きることが出来るのです。この事実を現実を真理を真剣に持って生きているのでしょうか。そう考えるなら、非常に大きなことでないでしょうか。
世界に、ビジネスマンがスーツを着てキリストの心をもった人がいるのです。社会にどれほどのインパクトがあることでしょうか。今日この日、キリストの心を持って留学生の働きをします。